1 事業主が、その業務に従事していた労働者について労災支給決定処分がなされた場合に、その支給決定の取消しを求めることができるか否かが争われていた事件(あんしん財団事件)について、令和6年7月4日、最高裁は5人全員一致で、事業主には支給決定の取消しを求める原告適格がないとの判断を示しました。
2 ことの発端は、一般社団法人あんしん財団の従業員2名が精神障害を発病し、それが労災と認定されたことです。従業員が労災認定された場合、事業主が負担する労働保険料は一定の範囲で引き上げられることになります(メリット制)。あんしん財団は、労災支給決定により労働保険料の増額という不利益を受ける恐れがあるから、従業員への労災支給決定処分の取消しを求めることができると主張して訴訟を起こしました。
3 これに対し、第1審はあんしん財団の訴えを退けましたが、控訴審は原告適格があると判断しました。 これまで、労働者が労災を認められれば、事業主はそれを争うことができないとされていました。それが事業主も労災認定の取消しを求めることができることになれば、被災労働者等は受給した労災補償の返還のおそれにおびえなければならなくなり、生活の安定が脅かされます。また、事業主が労災決定を争うことができることになれば、労基署の判断がさらに慎重になり、労働者がそもそも労災申請を行うことをためらうことにもつながりかねません。そのため、控訴審の判断を維持するのか、最高裁の判断が注目されていました。
4 最高裁は、①労災保険法は、被災労働者の迅速かつ公平な保護を目的とするものであり、事業主に労災支給処分を争う機会を与えると労災保険法の趣旨が損なわれること、②事業主は、保険料を増額する処分について取消しを求めることができ、手続保障にかけるところはないことなどを理由として、事業主の原告適格を否定しました。
5 最高裁の判断は、被災労働者等の救済にも配慮したものといえます。また、国は、令和5年から事業主側が労災保険料の決定に対して不服を申し立てられる仕組みの運用を始めており、このことも最高裁の判断に影響したものと思われます。 他方、そもそもメリット制自体が問題をはらんでいることは引き続き訴えていく必要があります。メリット制は、事業主による災害防止の努力を促進することを目的とした制度ですが、これがあることによりかえって労災隠しのきっかけとなっています。メリット制の改廃について議論を深めるべきであると思います。
(弁護士 松村 隆志)
(メールニュース「春告鳥メール便 No.69」 2024.7.23発行)