少し前、世間を賑わした黒川弘務元東京高検検事長の賭け麻雀問題(レートは、1000点100円の「テンピン」麻雀であったと報道されています。)。この黒川氏に対する処分については、法務省と官邸側との事前調整の段階では、懲戒処分の中で最も軽い「戒告」処分が妥当であるとされていたようですが、最終的には戒告よりも軽く懲戒処分ですらない「訓告」処分とされ、黒川氏自身はその後辞職するに至りました。
黒川氏に対する処分を巡っては、ネット上で「軽すぎる」とか「賭博罪」にあたるのではないか、といった声が飛び交っています。そこで、本稿では、黒川氏の行った賭け麻雀と賭博罪の成否について考えてみたいと思います。
まず、賭博罪について刑法第185条は「賭博をした者は、50万円以下の罰金または科料に処される。ただし、一時の娯楽に供するものを賭けたにとどまるときは、この限りでない。」と定めています。同条の「賭博」については、「勝ち負けの結果が偶然に依存している勝負事」と説明されたり(松宮孝明「刑法各論講義」第2版402頁)、「偶然の勝敗によって、財物・財産上の利益の得喪を2人以上の者が争う行為」と説明されています(山口厚「刑法各論」補訂版509頁)。具体的には、賭け麻雀のように当事者の行為によって勝敗が決まるものだけでなく、競馬や競輪などのように、行為者の行為と関係のないことに賭けるものも含まれます。技量によって勝敗が左右される場合でも、偶然の介入の余地があれば「賭博」にあたります。賭け麻雀について裁判例は、「麻雀遊戯ノ一點二金一錢ヲ賭スル約定ノ下二麻雀牌ヲ使用シ麻雀遊戯ノ方法ニ依リ輸?ヲ爭ヒ以テ賭錢賭博ヲ爲シタルモノナリ」と判示しています(大判明44・11・13)。明治時代の裁判例なので漢字とカタカナで読みにくいのですが、要するに、麻雀のルールに則って麻雀で勝敗を競う場合であっても、1点当たり幾らというようにお金を賭けてやる場合には、賭博に当たると判断しているのです。
したがって、黒川氏の行った賭け麻雀は、賭博罪に当たりうるものであったといえます。
次に、刑法第185条ただし書は「ただし、一時の娯楽に供するものを賭けたにとどまるときは、この限りでない。」と規定していますので、賭け麻雀が同条ただし書の適用を受けるものかどうかを検討する必要があります。この点、「一時の娯楽に供するもの」とは、関係者が即時に娯楽のために消費するもの(飲食物やたばこなど)をいい(大判昭4・2・18)、金銭はその性質上「一時の娯楽に供するもの」には当たらないとされています(大判大13・2・9)。そうすると、黒川氏の行った賭け麻雀は、やはり賭博罪に当たりうるものであったといえそうです。もっとも、学説上は、金銭を賭けた場合であっても即座に消費するものと同程度の金額であれば賭博罪の成立を否定すべきであるとする見解も有力に主張されているようです。仮に、黒川氏の行っていた「テンピン」レートの賭け金が、即座に消費するものと同程度の金額であることを理由に「一時の娯楽に供するものを賭けた」場合にあたるとして、賭博罪の成立が否定されるということになれば、少なくとも今後は、「テンピン」レートの賭け麻雀で逮捕・起訴される人はいなくなるのでしょうね(たぶんですが)。
最後になりますが、法律家の端くれとして、検察の、しかもそれなりの地位にある人の行為が犯罪行為に当たるかどうかという点はとても興味深い問題なのですが、ひとりの人間としては、黒川氏が政府の期待に最後まで応えきれなかったことが残念でなりません。政府はこの人を検事総長に据えるために、民主主義をねじ曲げて強引に定年を延長させ、世論の猛反対に抗してでも法改正を画策するなど相当なリスクまで犯したのに、この人はその期待にすら応えることができなかったのです。せめて政府の期待に応えるよう最後まで努力することが人の道だったといえるのではないでしょうか。
今後、「テンピン」賭け麻雀が法的にどのような評価を受けることになるのかはわかりませんが、この一件で、黒川氏はある意味「道」を踏み外しました。それだけは確かなことといえます。
(弁護士 井上 将宏)
(メールニュース「春告鳥メール便 No.25」 2020.6.3発行)