相続が発生したときに、マイナス財産の方がプラス財産よりも大きい場合、相続人が自分だけであれば、誰しも相続放棄をすれば良いと考えるのではないでしょうか?
では、放棄される相続財産の中に古い建物が含まれていて、その建物が放置された場合に将来倒壊する等して隣接する家屋の所有者に損害を与えてしまう恐れがあるとしたらどうでしょうか?
民法940条1項は、「相続の放棄をした者は、その放棄によって相続人となった者が相続財産の管理を始めることができるまで、自己の財産におけるのと同一の注意をもって、その財産の管理を継続しなければならない。」と定めます。この相続放棄者の管理義務は、「一種の事務管理(民法697条)であり、全相続人が相続放棄をして相続権を有する者がいなくなった場合でも、新たな管理者が生じるまで継続すべきものである。」とされています(注釈民法(19)700頁)。このような法解釈を前提とすれば、先のケースにおいて、相続放棄をした場合であっても、新たな管理者が見つかるまでの間、建物の倒壊を防ぐなどの義務を負い続けなければならないことになりそうです。これが相続放棄の落とし穴その1です。
このような場合に、法は、相続放棄者が「利害関係人」として、家庭裁判所に相続財産管理人の選任を求めること(民法940条2項・同法918条2項)や、民法952条1項に基づく相続財産管理人の選任請求を認めており、その結果、家庭裁判所によって管理人が選任されれば相続放棄者の管理は終了するものと考えられています(注釈民法(19)700頁)。
そうすると、上記のケースでは、相続放棄者は、管理義務を免れるために相続財産管理人の選任を家庭裁判所に申し立て、その後財産管理人が選任されさえすれば安心なのでしょうか?
実は、そうとも言い切れません。相続財産管理人の選任を申し立てると、家庭裁判所から、相続財産管理費用、相続財産法人登記、管理人報酬などに充てる費用として数十万円から100万円程度の手続費用の予納を求められてしまいます(注釈民法(19)664頁)。これが相続放棄の落とし穴その2です。下手をすると、相続放棄をした上で、さらに100万円もの負担を余儀なくさせられる恐れがあるのです。また、相続財産管理人の選任を申し立てたとしても、家庭裁判所が管理に値すべき相続財産と認めない場合には、申し立て自体が却下されることもあるそうです。
さて、冒頭のケースで、相続放棄者に高額の手続費用を予納する資力がない、あるいは、家庭裁判所によって相続財産管理人の選任申し立てが却下されそうな場合に、誰も管理しなくなった建物によって第三者に損害を生じさせてしまったときは、相続放棄者が責任を負わなければならないのでしょうか?
この点については、未だ明確な結論が確立していないため、根本的には立法政策に委ねられていますが、学説上は、民法940条1項に基づく相続放棄者の管理義務は、相続財産の価値の維持保全に向けられたものであって、第三者の権利利益に向けられたものではないという解釈を前提に、第三者が相続放棄者に対して責任追及するのは難しいと考えられているようです(注釈民法(19)664頁)。
いずれにしろ、確立した法解釈は存在しないため、モヤモヤ感は否めません。立法による早期の解決が期待される問題といえるのではないでしょうか。
(弁護士 井上 将宏)
(メールニュース「春告鳥メール便 No.23」 2020.3.31発行)