私が今回の日韓法律家交流会に参加した理由の一つは、この過労死分科会か持たれるということであった。韓国では過労死が裁判で労災と認定される例が多く、日本よりも進んでいるということを聞いたことかあったからである。
分科会の参加者は、日本側弁護士5名(藤本正、上柳敏郎、玉木一成、梅田章二、私)、韓国側14名であった。
参加者の自己紹介のあと、韓国側から金晋局弁護士、日本側から玉木弁護士が、それぞれの国での闘いの到達点と課題について報告した。
金弁護士の報告(大変よくまとまったレポートです。ご希望の方にはコピーを差し上げます)によれば、最近韓国でも、急激な産業化の過程で、自分の健康を省みずに熱心に仕事をするのが「勤労の美徳」と誉めたたえられ、また当然の義務として要求されることから、過労死が深刻な社会問題になっている。しかし80年代中盤以降、社会全般の民主化要求に伴う国民の権利意識の高揚と、いわゆる「40代死亡率の急上昇」という現実的な問題が相まって、過労死が本格的に問題提起されるようになり、裁判所の判例もこのような社会的現実を受け入れ、次第に過労死を幅広く認定する方向に変わってきたとのことである。
韓国ては90年代に入って以降、最高裁が明確に「共同原因説」を採用しており(日本では「相対的有力原因説」と「共働原因論」か相半ばしている)、また業務過重性は当該労働者を基準として判断すべきであるとするなど、過労死の救済に対する司法の積極的な姿勢か目立っている。疾病の範囲についても、脳疾患、心疾患のほか、肝臓疾患(肝炎や肝硬変、肝臓ガンなど)も広く救済されている。その他敗血症、肺ガン(過労が肺ガンの自然な経過に悪影響を及ぼした)、急性膵臓炎などでも救済された事例があるとのことである。日本でも最近過労死の労災認定を求める行政訴訟での前進は目ざましいものがあるが、韓国では日本よりも5年くらいは先を行っているような印象を受けた。
他方では、企業に対する損害賠償請求については、より強い因果関係、使用者の過失、発症と死亡に対する予見可能性を厳しく要求し、企業の責任を容易に認めないようである。この点、日本では企業責任を認める判例が増えてきているのと対照的である。最近問題となっている自殺の労災認定に関して、藤本弁護士が、青年の・目殺について過失相殺なしで1億2000万円の損害賠償を命じた判決(電通事件、東京地裁平成8年3月27日判決)を紹介した。
意外だったのは、韓国では過労死の労災申請をしてから半年くらいで決定がなされ、裁判所への提訴後半年から2年以内に判決がなされるとのことである。裁判期日は日本と同じ月に1回程度であるので、日本の裁判所よりも「気軽に」判決を出すようである。日本の裁判所は必要以上に慎重過ぎるように思われた。また、韓国では日本のような「大衆的裁判闘争」は特に取り組まれていないようである。これは裁判期間の短さだけでなく、歴史的な経過や弁護士の活動スタイルも影響しているのであろう。
また、日本での具体的な過労死事案を紹介すると、その凄まじさに韓国側から驚きの声があがり、「なぜそこまで日本人は働くのか」といった質問もなされた。同じ過労死といっても、日本のそれと韓国のそれとは、労働の実態に相当な開きがあるのかも知れない。
いずれにせよ、韓国と日本は法体系も理論も似通っており、互いに学びあえることは多くあるようである。次回の交流会では、その後の闘いの成果や苦労話も含めて、いっそう交流を深められたらいいなあと思ったことであった。
(民主法律時報297号・1996年12月)