1 「午前8時から午後10時、遅い時は深夜1、2時まで仕事。土曜日もたいてい出勤。すべてサービス残業。このままでは倒れるのではないかと心配。」(33歳事務職の妻)
「朝6時に出勤して夜12時くらいに帰宅。休日出勤も頻繁。労働時間は月400時間くらい。本人はまじめに文句も言わず働いている。どうしたらこんな勤務をやめさせられるか。」(23歳飲食業勤務の父)
これらは、「過労死110番」に寄せられた相談の例である。
過労死110番は、1988年以来毎年全国で行っているが、毎回半分くらいはこのような相談が占める。
これまでは、このような悲痛な訴えに対する私たちのアドバイスは、「労働基準監督署に相談しなさい」「労働組合はないのですか」「そんな状態では、会社を辞めないと本当に倒れますよ」といったものだった。労基署に相談してもほとんど取り合ってもらえない、労働組合がちゃんと取り組んでいればそもそも相談なんてしない、このリストラと再就職難の時代に会社を辞められるはずはない。それがわかっていながら、これくらいしか言えなかったのである。私たち過労死問題に取り組む弁護士は、いつも、やり場のない怒りと、どうしようもない無力感に苛まれてきた。
2 過労死はある日「突然」やってくる。私たちが過労死の労災申請に取り組むのは、残された遺族の生活保障と、「夫が亡くなったのは仕事のせいだと認めてほしい」という悲痛な思いを受けてである。これが、過労死への取り組みの第一ステージであった。
3 しかし、労災認定を勝ち取ることは容易でないうえ、労災と認められても、会社のふところは痛まない。労働保険料がわずかに上がるだけである。
そこで、過労死への取り組みの第二ステージとして、遺族たちは会社に対する損害賠償請求訴訟を起こし始める。裁判は時に5年、10年とかかるうえ、会社は「無理やり働かせたのではない」「自分の健康管理が悪かったからだ」と開き直り、今も会社で働く同僚たちは、(恐らく意に反して)会社に合わせた証言をする。しかし、「会社は責任を認めてほしい」「こんな辛い思いをするのは私たちを最後にしてほしい」という遺族の思いは、少しずつ企業責任の壁をこじ開けてきた。
だが、それでも過労死や過労自殺がなくなる気配はない。しかも、特にここ数年は、リストラと不況のもとで、文字通り限界までの長時間過密労働が一般化し、しかもその大部分がタダ働き=サービス残業である。中小零細企業だけでなく、日本を代表するような大企業でも平然と横行しているのには唖然とする。労働者は自分の時間、家族との時間、睡眠時間を極限まで削り、期限とノルマとリストラの恐怖に怯え、体の不調を抱え、ストレスを感じながら一日一日を辛うじて送っている。「明日はまだ生き長らえているかもしれない自分の命」と、「明日も食べないといけない自分と家族の生活」とでは、後者を選ぶほかないのだ。過労死と過労自殺の広がりは、そのような状況の中で起こっている。その結果、「最低限の労働条件」を定めたはずの労働基準法は、今や完全なザル法となっている。
4 そんな中で、一筋の光明が見えた。それは、私も弁護団に加わっている土川事件(23歳のデザイナーであった土川由子さんがクモ膜下出血で亡くなり、会社を被告に裁判を起こしている事件)の提訴の報道を見た大阪の天満労基署が、2000年8月、会社と社長を労働基準法違反(残業手当不払い)と労働安全衛生法違反(健康診断の不実施)で捜査し、書類送検し検察官は起訴した。刑事裁判で会社と社長は「この業界では当たり前のことだ」と開き直ったが、大阪地裁は会社と社長のそれぞれに対し罰金40万円の有罪判決を下したのである。 また、その後東京労働局も、労働者を過労死させた二つの会社を立て続けに書類送検した。
よく考えると、サービス残業や36協定違反は立派な犯罪であり、本来国がきちんと労基法を守らせなければならないのである。私たちは、労働者を過労死させながら反省のない会社と社長を、業務上過失致死や労基法違反で告訴・告発していくことにした。ここに、過労死への取り組みは、いわば第三ステージを迎えたのである。
5 しかし、過労死が既に発生した会社を告訴・告発することも大事だが、本当に過労死・過労自殺やその温床となっているサービス残業をなくすためには、今にも過労死が発生しそうな会社を広く摘発することが必要である。 そこで、大阪過労死問題連絡会は今年五月、過労死を生み出すおそれのある職場の労基法違反、サービス残業を、相談者と協力して告訴・告発することを目的とする市民運動組織・・「労働基準オンブズマン」を立ち上げることを決定した。この構想は四、五年前から出てはいたが、一気に具体化することになった。
6 6月12日、労働基準オンブズマンの結成総会を兼ねて、シンポジウム「サービス残業と過労死~サービス残業をさせるのは、立派な犯罪です!!」を開いた。85名もの弁護士、医師、労働組合関係者、過労死遺族、市民が参加し、熱気の中、労働基準オンブズマンの結成が宣言された。代表には脇田滋龍谷大学教授、幹事長には松丸正弁護士、事務局長には下川和男弁護士が就任した。
そして6月16日の「過労死110番」は、大阪では大阪過労死問題連絡会と労働基準オンブズマンの共催で行ったところ、5台の電話は途切れることなく鳴り続け、寄せられた相談件数90件のうち、予防相談は8割を超える76件に達した。
その後も相談や問い合わせがひきもきらず、7月13日の一斉相談会に参加した13人を含め、8月上旬時点で既に30件以上の相談申込書が届いている。
9月7日には、労働基準オンブズマンとして初めて、10件前後の「一斉告訴・告発」を予定している。
7 このようにして立ち上がった労働基準オンブズマンだが、課題は山積している。
(1) 組織の全国的確立‥‥九月に大阪で開かれる過労死弁護団全国連絡会議の総会を契機に、全国的に参加を呼びかけたい。参加は弁護士のみならず、医師や社会保険労務士、司法書士、経験豊かな労働組合の活動家、過労死遺族などに広く参加を訴える。
(2) 積極的な告訴・告発活動‥‥社会的責任の重い上場企業や悪質な企業について、積極的に告訴・告発、監督官庁への申告などを行う。
(3) アンケート等の世論喚起活動‥‥上場企業などにサービス残業や健康診断などについてアンケート活動を行い、結果を広く公表する。
(4) 幅広い広報・相談活動‥‥ホームページの開設やマスコミを通じて幅広く広報を行い、メールによる相談も含めて相談活動を広げる。
まだ生まれたばかりの組織であり、市民権を得るのはこれからである。 皆さんの積極的なご理解、ご支援を切にお願いしたい。
(いずみ第12号「オアシス」2001/9/1発行)