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事件報告
料理店店長の過労自殺に業務上の認定─寺西事件─

一 事案の概要
 被災者寺西彰さん(死亡当時49歳)は、京都市内でいくつもの飲食店を経営する(株)エージーフーズ(旧(株)京都ピガール)に1975年に入社し、92年からその筆頭店「そば処『鷹匠』三条店」の店長を務めていたが、93年ころから不況の影響で年々売上げが減少してきた。社長は寺西さんの営業努力が足りないと責めてきたが、そんな中で責任感の強い寺西さんは著しい長時間過密労働(午前10時~午後10時ないし11時まで、1日12~13時間労働)を続けてきた。
 95年12月下旬から翌96年2月上旬は、年末年始を挟んで寺西さんは1日12時間~13時間の労働(午前10時~午後10時ないし11時まで)で、ほとんど休日のない日が続いたが、ちょうどその時期から、寺西さんは社長から、A店の営業不振を理由に、事実上の左遷である「高島屋店」への転勤を求められ、連日のように社長から責められていた。2月1日には血尿が出、受診した病院で精神的不安定、不眠、食欲減退を訴えていた。2月10日には、足元がふらついて、A店内の2階と3階の間の階段を上から下まで転落する事故を起こし、医師から一週間の入院を指示されたが、「打撲くらいで入院している訳にはいかない」と言って翌日無理やり退院して仕事に就いた。
 2月14日の夜も社長から異動の話をされ、ついに承諾させられたが、その数時間後の2月15日午前一時すぎ、自宅から1㎞ほど離れた市営団地の四階から飛び降り、死亡。

 

二 その後の経過
1997年6月 寺西笑子さんが大阪の過労死110番に電話相談
同 年7月 弁護団(村山晃、浅野則明、岩城穣)結成、取り組みを開始(その後、佐藤克昭弁護士が加入)。
1999年3月26日 労災申請(京都下労基署)
同 年9月14日 労働省が過労自殺の労災認定基準を制定
2001年3月19日 業務上の決定
同 年6月13日 会社を被告として民事損害賠償請求提訴

三 業務上認定の説明会(平成13年3月26日)
(1) 労基署の業務上の理由説明(口頭)
①精神障害発症の有無について
H7年12月下旬の発症と判断
H8年2月1日武田病院の診断により確定
ICD-10分類に含まれるF3(気分・感情障害)と判断
②仕事量など業務の過重性について
業務に関連する死亡前6ヶ月のできごとから、チェーン店の(筆頭店)店長としての重責や、売上げに対する強い要求を受け、達成のために努力したにも拘らず到達できなかったことなど、判断指針の(別表1)―評価表・―にあたる心理的負荷があった。この段階で心理的負荷の強度は・であるが、恒常的な長時間労働が加わることで強度を修正した上で、出来事に伴う問題・変化への対応として「左遷といえる人事予告」があったことなどから総合判断した。
③なお、業務以外のストレス要因や個体要因といえるものはないと判断した。
(2) 監督署からのコメント
「たくさんの情報を寄せていただいて感謝しています。あれだけ多くの証言や情報を提供していただいたことが、「上・外」別にして、客観的な判断ができた元であり重要なものであったと思っています。」
(3) 寺西笑子さんからのあいさつ
「適正な調査と結果をありがとうございました。
夫の死亡後の5年間親子3人で必死で働きながら、労災認定されることを願って頑張ってきてよかったと思います。夫も私も学歴もなく、中卒以来一生懸命働き通してきた結果がこんなことになるのはどうしても納得できませんでした。途中、監督署が敵に見えたりしたこともありますが、今はやっぱり労働者の味方なんやと感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。」

四 労災認定についての評価
(1) 当時の部下や他店の店長などの関係者からの聞き取りを積極的に行い、また医師(遠山照彦医師)の協力も得て、詳細な主張・立証を行うことができた。
(2) 京都の弁護団メンバーと京都職対連が労基署交渉を精力的に行い、事実関係や医学的機序について機敏な補充立証を行った。
(3) 取り組みの過程で過労自殺の認定基準が制定され、また下中事件の審査会での逆転勝利など、過労自殺についての運動と世論の広がりとかみ合うことができた。
(4) 寺西笑子さん自身、当初は子どものことなどを配慮して公然と支援を訴えることに消極的であったが、過労死家族の会の運動に関わり、また京都職対連の支援を受ける中で、主体的に支援を呼びかけることができるようになり、特に最終盤、支援運動が一気に広がった。
(5) 監督署の担当者が、機敏な初動調査をはじめ、積極的かつ誠実に事実の収集と客観的な判断に努力された。

五 民事訴訟について
労基署の業務上認定後、会社に対して交渉を申し入れたが、会社が拒否したことから、遺族は損害賠償請求訴訟を提起し、現在京都地裁で係属中である。
会社は全面的に争っており、予断を許さない闘いが続いている。いっそうの支援をお願いする次第である。
(民事訴訟の弁護団も、村山晃、佐藤克昭、浅野則明〔以上京都〕と私である。なお、本稿執筆にあたっては、京都職対連「Humanlyきょうと78号」(2001年4月)を参照させていただいた。)
(民主法律249号・2002年2月)

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