◆事案の概要
Kさんは、1995年に高速道路などを施工する土木工事会社(本社:大阪市)に新卒で入社し、土木工事現場の監理技術者として勤務していました。仕事に誇りを持ち、自分が担当した構造物の近くを子どもと通ることがあると、「これはお父さんが作ったんだぞ」と自慢げに話をしていました。
2015年12月から三重県の四日市市に単身赴任し、建設中の新名神高速道路の工事事務所で施工計画の作成や工程管理、元請や下請会社との調整などを行っていました。
2016年3月30日から4月28日まで月100時間を超える恒常的長時間労働に従事する中、5月17日の午前7時頃、施工計画書の作成・提出を失念していたことが発覚したのです。Kさんは、その日昼食をとらず、午後3時30分頃に事務所を出て行方不明となり、翌18日の午前4時頃(推定)、滋賀県内の駐車場に停めた車内で、自分で右上肢及び左右下肢、更に左頸部を数回折損し、出血性ショックにより死亡しているのが発見されたのです。
◆労災申請から行政訴訟までの手続きの経過
<2016年>
6月 Kさんの妻のHさんが当事務所に相談。3人の弁護団を結成(稗田隆史、清水亮宏、私)
<2017年>
4月25日 大阪本社と三重県の工事現場事務所の2か所で証拠保全
<2018年>
1月25日 四日市労基署に労災申請 12月3日 不支給決定
<2019年>
2月28日 三重県労災保険審査官に審査請求
<2020年>
2月4日 審査請求棄却
3月4日 労働保険審査会に再審査請求
4月20日 津地裁に行政訴訟を提起
9月1日 労働保険審査会で口頭審理期日(大阪労働局にてテレビ審理)
<2021年>
7月26日 労働保険審査会が不支給処分取消決定(逆転裁決)
8月3日 行政訴訟を取下げ
◆主たる争点と主張立証
本件では、上記の長時間労働は労基署の調査で認定されていたことから、労働保険審査会及び行政訴訟における主たる争点は、
①被災者の精神障害の発病の有無(労基署はうつ病の発症を否定)
②出来事「転勤をした」に関する心理的負荷の強度(労基署は心理的負荷の強度を「弱」と認定)
③出来事「仕事上のミスをした」に関する心理的負荷の強度(これについても労基署は「弱」と認定)
の3点でした。
私たちは審査請求段階で、吉田病院の中谷琢医師に依頼して、Kさんはミス発覚当日の5月17日に「中等症うつ病エピソード」を発病していたこと、仕事上のミスの心理的負荷の強度が「強」であったこと等を内容とする医師意見書を提出しましたが、労働保険審査官は愛知医科大学のM医師に作成を依頼した意見書をもとに審査請求を棄却しました。
そこで私たちは、再審査請求段階で、これに対する中谷医師の反論意見書を提出していました。
再審査請求と並行して始まった行政訴訟でも、国は上記の3点を強く争っていました。
◆労働保険審査会で逆転裁決!
2021年7月27日、労働保険審査会から、労基署の不支給処分を取り消すという内容の裁決書が届きました。
裁決書を見ると、労働保険審査会が新たに意見書の提出を依頼したO医師は、①Kさんの当時の様子や、自殺の状況から5月18日に「適応障害」を発症していた、②長時間労働であったことに加えて、発注者に対する計画書の提出漏れによる心理的負荷が認められ、その心理的負荷の強度は「中」以上であると判断できるから、心理的負荷の強度は「強」と判断できるとの意見を述べ、審査会はこれを妥当として不支給処分を取り消すというものでした。
労働保険審査会の裁決に対しては国は不服を申し立てることができないことから、不支給処分の取消しが確定し、行政訴訟は取下げによって終了しましたが、Kさんが亡くなってから既に5年以上が経っていました。
◆被災労働者と遺族の迅速・適切な救済を!
KさんはHさんと高校の同級生同士で結婚し、当時18歳の長女と14歳の長男の2人の子どもたちを大切にする、優しい夫でありお父さんでした。
仕事以外に原因が考えられないのに、何年もの間、労災ではないと否定され続けることは、遺族にとって本当に辛いものです。
労災補償制度は、被災労働者と遺族を迅速・適切に救済するものでなければならないと、改めて強く思います。
弁護士 岩城 穣
(春告鳥第15号 2022.1.1発行)