新潟市水道局パワハラ自死事件 勝訴判決が確定、市長が謝罪

1 事案の概要

 Sさんは1990年に新潟市水道局に入職した中堅の職員でした。2006年4月、Sさんの直属の上司がW係長となりました。W係長は部下とのコミュニケーションを取らず、何かのきっかけで係員を無視したり大声で叱責するなどのパワハラを行うため、職場は会話がなくなり、重苦しくなりました。Sさんの同僚のU氏もこのようなパワハラで苦しんでいましたが、Sさんも同年12月ころからW係長からパワハラを受けるようになりました。

 2007年3月、W係長はSさんに、それまで経験したことがない困難な業務を与えておきながら、進行状況をあげつらうのみで、まったくフォローしようとしませんでした。Sさんは相談できる相手もないまま、提出期限目前の5月8日、出勤途中にある「入船みなとタワー」から飛び降り自殺したのです。

 Sさんの死後に自宅のパソコンから見つかった遺書には、「どんなにがんばろうと思っていてもいじめが続く以上生きていけない。(中略)いままで我慢してたのは家族がいたからであるが、でも限界です」などと記されていました。

2 公務災害申請から民事訴訟の判決まで

 2007年10月 妻のMさんが地方公務員災害補償基金新潟市支部に公務災害の申請

 2009年1月 公務外の決定。Mさんは支部審査会に審査請求

 2011年11月 支部審査会が公務上の裁決

 2012年2月 水道局が、関係者の処分と損害賠償の検討のためとして、原告側から公務災害の資料一式を受領 11月 水道局が「再調査」の結果パワハラはなかったと主張し、損害賠償を拒否

 2013年10月 民事調停の申立

 2014年4月 調停不成立

 2015年9月 民事訴訟を提訴

 (2019年10月 原告の代理人が交代し、岩城・白神・清水が代理人となる)

 2022年2月~3月 3回にわたり、6人の人証調べ 11月24日 新潟市に対して合計約3500万円の支払いを命じる判決

3 民事訴訟の争点と裁判所の判断

  1. 民事訴訟の主な争点は、①Sさんが担当した業務の困難性、②W係長の無視・いじめの有無、③水道局が負っていた安全配慮義務の内容とその違反、の3点でした。公務災害手続きで陳述書を提出してくれたU氏は、水道局の報復を恐れて証人として出廷してくれず、W係長は証人尋問で、Sさんに担当させた業務は難しくなく、尋ねられれば教えてあげたはずだ、Sさんをいじめたという意識はない、自分に至らないところがあったとは思っていないので謝罪するつもりはないと、開き直りました。
  2. 判決は、①Sさんの担当業務の困難性は一定程度認めましたが、②U氏が証人として出廷しなかったことも理由に、行政手続きでU氏が提出した陳述書の内容は採用できないとして、Sさんに対する無視やいじめは認めませんでした。一方で、③W係長は、自らのSさんら職員らへの接し方やSさんとの人間関係の悪化という悪影響のもとで、Sさんに業務の進捗状況を積極的に確認し、必要な指導を行う機会を設けるか、または部下への接し方を改善してSさんが積極的に質問しやすい環境を構築すべき注意義務があったのにこれを怠ったとして安全配慮義務違反を認めました。④他方で判決は、Sさんにも中堅職員として、可能な対応を十分に採らなかったとして、5割の過失相殺を行いました。
  3. この判決については、支部審査会で認められたパワハラを認めなかった点や、5割もの過失相殺を行った点で不満はありますが、W係長自身が作り出していた当時の職場環境をきちんと認定し、そのような職場環境を改善する義務があったと認定したことは重要と思います。

4 判決の確定と市長の謝罪

  1. 原告のMさんは控訴することも考えましたが、Sさんが亡くなってから既に15年以上が経っていること、これ以上争うよりも市長やW係長の謝罪と再発防止の約束を得たいという思いから控訴はせず、被告側も控訴しなかったことから、判決は確定しました。
  2. その後Mさんと新潟市との間で協議が重ねられ、2023年3月30日、新潟市長が自ら遺族に謝罪し、再発防止を誓いました。しかし既に退職しているW係長は謝罪の場に同席しませんでした。

5 おわりに

 妻のSさんの頑張りと、「支援する会」の方たちの支援もあって、この事件は新潟県では大きく注目され、多くの報道がなされました。私たち弁護団にとっても大変な闘いでしたが、勝訴判決を勝ち取れたことを嬉しく思います。 この判決と取り組みが、公務職場のパワハラをなくしていくことにつながっていくことを願います。

 (弁護団は白神優理子、清水亮宏と私)

弁護士 岩城 穣

(春告鳥第18号 2023.8.3発行)