1 Aさん(死亡当時51歳)は、大学の工学部を卒業と同時に、空調設備会社に技術職として入社し、26年間勤務してきました。突貫工事のために泊まり込みや休日出勤も多くありましたが、仕事にも会社にも誇りを持ち、家族にもよく会社の歴史について話したりしていました。家族思いで、両親や子どもたちのこともいつも気にかけていました。
2 2018年4月から中部地方の営業所で作業所長として勤務し、単身赴任をしていましたが、同年12月以降、取引先(元請会社)から2度にわたりクレームを受けたことから、2019年5月に現場所長を交代することになり、同年11月にはさらに別の部署への異動が決まりました。そのため、担当していた工事の立ち上げや、クレーム対応を含む引継ぎ業務が集中した結果時間外労働時間が激増し(発症前1か月253時間、同2か月141時間)、連続勤務37日間という異常な状況となりました。そこに、担当していたクレーム対応工事の期限を徒過してしまうミスが発生してしまったことから、2019年12月末ころうつ病エピソードを発症し、大晦日の日に自死してしまったのです。
3 2019年8月ころから、妻のBさんにAさんから電話がかかってくることが増え、「仕事を辞めたい」「自分には能力がない」と言うようになりました。Bさんは、「大阪に帰っておいで。会社辞めてもいいやん」と言いましたが、「そうしたいけどそんなことはできない」との返事でした。12月27日の夜の電話で、「仕事で失敗した。年末年始で大阪に帰る予定だったが仕事でトラブルがあり帰れない」「もうキャパオーバー」「うつの診断をもらったら、会社に行かなくていいかな」と話したのが、Aさんとの最後の会話でした。その後連絡が取れなくなり、2020年の元日、社宅であるマンションの自室で自死しているのが発見されました。
4 2020年1月下旬、Bさんから相談を受け、弁護団を結成。会社は当初から協力的で、私たちが求めた資料をほぼ全面的に開示してくれました。勤務簿では発症前1か月の時間外労働は100時間に達していませんでしたが、提供を受けたパソコンログ記録や事務所の入退室記録等によって、膨大な労働時間が明らかになりました。クレーム工事の内容や経過についても、詳細な資料によって明らかにすることができました。
2021年9月、長野労基署に労災申請を行い、2023年1月、業務上との認定がなされました。
労災認定後の会社との交渉でも会社は誠実に対応し、遺族との面談で謝罪と再発防止を言明して、円満な解決に至りました。
5 Bさんは、過労死防止啓発シンポジウム大阪会場(2023年11月)で、次のように思いを語りました。「私が特に後悔しているのは、亡くなる前から頻繁にくれた夫の辛そうな電話の会話に対して説得しきれなかったことです。どう説得すればよかったのか、あの時どうしていればこれを回避することができていたのだろうと、今でも後悔と自責の念に苦しんでいます。」
「一人ひとりの人間は、強いように見えても弱い存在です。今回、夫は困難を乗り越えようとして無理をしすぎ、精神疾患を発症して自ら命を絶ってしまいました。どうすればこのような結果を避けられたのか、私にはまだ答えは見つかりません。妻の立場で、子供の立場で、親の立場で、仕事仲間の立場で、それぞれ考えなければならないと思いますが、働く場所を決めるのも、仕事を与えるのも会社ですから、会社の果たすべき役割は大きいと思います。根底には温かい心、思いやり、理解する心があることが一番重要ではないでしょうか。」
(弁護団は、稗田隆史、冨田真平と私)
弁護士 岩城 穣
(春告鳥19号 2024.1.1発行)