60代男性が離婚訴訟を提起して離婚が成立した事例のご紹介

Mさんは大手包装資材会社の要職まで務めた男性で、昭和60年からY子さんと同棲を開始し、翌年長女が出生するとともに入籍(再婚)しましたが、ほどなくMさんとの性交渉を拒絶するようになりました。Mさんはその後東京や名古屋での単身赴任を続けながら、多額の仕送りや光熱費や各種カードの引落しを負担してきましたが、Y子さんの経済要求がすさまじいうえ、MさんはY子さんに男性の影を感じていました。平成12年にはY子さんの要求に応じて多額のローンを組んで自宅を新築しましたが、Y子さんはMさんに新居の鍵も渡そうとしなかったため、平成14年からは事実上自宅に帰らなくなり、事実上別居が開始しました。

その後もMさんは住宅ローンの支払いと仕送りなどに耐えてきましたが、定年を控え、関連会社の役員に出向すると給与が激減することになることから、ついに離婚を決意するに至り、Mさんの親しい後輩である私の高校時代の友人の紹介で、依頼を受けることになりました。

まず、興信所に依頼してY子さんの素行調査をしたところ、ドンピシャで男性との宿泊現場を捉えることができました。

次に、離婚事件では先に調停手続きを経る必要があるため(調停前置主義)、Y子さんを相手方として家庭裁判所に調停を申し立てましたが、相手方はのらりくらりとした対応であったことから(Y子さんは現在の自宅に居座り続ける方が得だからです)、早期に調停を打ち切って、不貞相手の男性も共同被告として離婚訴訟を提起しました。

人証調べに入る直前に裁判所から和解の打診があり、数回の和解協議を経て和解離婚が成立しました。

 長年別居が続いてきたこともあって相手方は予想どおり頑なだったのですが、やはり尋問されるのは嫌だったとみえ、和解に応じてもらえました。依頼者のMさんは私を信頼してくれ、多忙の中、綿密な打合せと期日への同行を続け、最後は必要な決断をしてくれました。離婚成立で、Mさんは大きな荷物を降ろした解放感を味わいながら充実した生活をしているとのことで、大変嬉しく思います。

<Mさんからの一言>
 正しい見通しと二人三脚で離婚を勝ち取る   

 「先輩、いざという時、医者と弁護士は任せてください。友人で慶応医学部出の病院副院長と京大法学部出の弁護士がいますから」。入社年度5年の後輩N君から心強い言葉を頂戴し、ずっと脳裏に刻んでいたが、まさか実際にその伝家の宝刀を抜くことになるとは‥‥。

 お恥ずかしながら、一度目の離婚はお得意先の後輩で東北大出の弁護士さんと相談しながらの協議離婚。今回は相当もめるであろうとの覚悟で後輩の言葉に甘え、また、はっきり言って京大法学部の名前にひかれたのも事実、当初から迷わず、岩城弁護士に自分の将来を託したのであります。

 約2年近くで離婚できたのですが、さすがと思ったことは、少し心が折れそうになったときに岩城先生からかけられた「Mさん、その人のルーツに関わる案件は何年かかるか解りませんが、所詮夫婦は他人、よくかかっても2~3年で解決しますよ」との言葉、支えられました。また、その通りになりました。 岩城弁護士に委任を決めると即座に、「まずは探偵をつけましょう」との判断、これもズバリ。また、「仕事で大変でしょうが、出来るだけ最初から一緒に作り上げてゆきましょう。」とのアドバイスに、家裁の期日にすべて欠席することなく通い、準備書面の作成や証拠の提出準備にも参加させて頂くことにより流れが良くわかり、成程こういう風に整然と進んでゆくのかと理解できました。

 要は、すべてがきっちりとされた中で進んでゆくので、裁判長の信頼を得、味方に取り込んで行ける力があるのだと思います。

 以上のような岩城弁護士のご尽力により離婚が成立し、「Mに敏腕弁護士がつき離婚できた」の評判が社内外に伝わり(こういったことは面白おかしくすぐに内外に流れるのであります)、社内外からよく相談が来るようになり、弁護士さんにつなぐまでの社内外アドバイザーとなっております(引退後、これで商売できんかな)。

 ということで、岩城弁護士、稗田弁護士、そして紹介していただいた岩城弁護士の同級生で後輩のN君に心から感謝を申し上げ御礼の言葉に代えさせて頂きたいと思います。

 本当にありがとうございました。