生きるための「力」と「武器」を与える憲法・労働法教育

2012年4月12日

 有名な資格試験予備校「伊藤塾」の塾長をされている伊藤真氏は、護憲派の論客としても有名であり、「国民主権、基本的人権の尊重と平和主義を高らかにうたう日本国憲法の理念・精神を研究し、広く社会にひろげるため」の研究機関「法学館憲法研究所」の所長も務められている。
 その明晰さと誠実さにファンは多く、直接の接点のない不肖私も、同氏のファンの一人である。

 その研究所内にある「中高生のための映像教室 『憲法を観る』」普及事務局から、中学・高校の教員の皆さん向けに、労働基本権・社会権教育への期待についての寄稿を依頼され、以下のような文章を寄稿させていただいた。
 未来ある若者が、その熱心さと真面目さゆえに亡くなるようなことが決してあってはならない。
 そのために、学校の先生方のみならず、心あるあらゆる個人、団体が憲法・労働法教育に取り組む必要があると思う。
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生きるための「力」と「武器」を与える憲法・労働法教育

1 増え続ける若者の過労死・過労自殺──最近の2つの事例から

 吹上元康さん(死亡時24才)は2007年4月に大学を卒業し、東証一部上場会社である株式会社大庄に就職し、居酒屋チェーン「日本海庄や」の石山駅店で調理業務に従事し始めました。この会社では、初任給として表示されていた196,400円の中に、1か月あたり80時間分の時間外手当に相当する「役割給」を予め組み込み、これに満たない場合は給料が減額されることになっていたのです。吹上さんはそれをクリアしようと毎月100時間を超える時間外労働を続けた結果、4か月後の同年8月11日未明、急性左心機能不全で亡くなりました。

 2008年6月、大手居酒屋チェーン「和民」で働いていた森美菜さん(当時26歳)は、入社してわずか2ヵ月でうつ病にかかり自殺しました。最長で連続7日間の深夜勤務を含む長時間労働、連日午前4~6時までの調理業務のほか、休日も午前7時からの早朝研修会やボランティア活動、リポート執筆が課されたりと、森さんの労働は過酷きわまり、5月中旬の時点で1ヵ月の時間外労働が約140時間に上りました。
 「体が痛いです。体が辛いです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けて下さい。誰か助けて下さい」――亡くなる1ヵ月前に森さんが手帳に書いた日記には、すでに心身の限界に達していた森さんの悲痛な声が残されていました。

 吹上さんの死亡は大津労基署が労災と認め、また両親が起こした民事訴訟で大阪地裁も大阪高裁も、会社のみならず社長ら役員にも連帯責任があると断定しました(現在被告らが上告中)。森さんの自殺についても、2012年2月14日、神奈川労働局の審査官は労働災害であると認めました。しかし、2人の若者の命は、もう帰ってきません。

2 日本の学校教育が憲法・労働法教育に消極的であった理由
 これまで日本の学校教育では、一部の例外を除いて、憲法や労働法をしっかり教えてきませんでした。憲法については、「アメリカからの押しつけ憲法」という批判、9条と自衛隊をめぐる問題、教科書問題などがあったことから、政府や文部省(現在の文科省)は、日本史や道徳教育に力を入れ、憲法教育を軽視してきたきらいがあります。
 また、労働法についても、社会で働くうえでの基礎知識として教えてきませんでした。その背景には、終身雇用制や企業内福利制度のもとで、会社のために献身的に働けば、それなりに安定した生活ができるのだから、会社の中で権利ばかり主張すべきでないという風潮がひろくありました。

3 新自由主義のもとでの自己責任論と極限的な過重労働
 ところが、1990年代後半から、いわゆる新自由主義による規制緩和と自己責任論が広がり、労働分野でもこれが推し進められました。その結果、終身雇用は崩壊し、正社員のリストラと非正規雇用の激増が進みました。その中で労働者は事実上無制限・無定量の労働を求められ、これに応えられずに解雇されるとたちまち生活に行き詰まってしまい、それはすべて「自己責任」とみなされます。
 このような状況や風潮は2008年のリーマン・ショック以降、極限まで進んでいます。とりわけ若者は、未曾有の就職難の中で、出口の見えない「就活」に疲れ果て、自己の尊厳を傷つけられ続けています。そして、運良く正社員として就職できたとしても、そこでは荒廃した職場と、無制限・無定量の労働が待っているのです。

4 今や生きるための「力」・「武器」となっている憲法・労働法
 このような状況のなかで、個人の尊厳と平等を確認し、健康で文化的な最低限度の生活をする権利(生存権)を保障する日本国憲法は、自己責任論のもとで打ちひしがれた人々に対して、「あなたも生きていていいんだよ。あるがままのあなたが肯定されるべきなんだよ。」と励まし、生きる「力」を与えるものになっています。
 そして、労働条件の最低限を定めた労働基準法(1日8時間労働や時間外手当、年次有給休暇の保障、解雇の規制など、実際には「最高の労働条件」となっています)や、使用者の横暴に対して労働者が団結して闘う権利を保障する労働組合法などの労働法は、労働者が生き続け、働き続けるための不可欠の「武器」となっているのです。

5 新たな位置づけがなされるべき憲法・労働法教育
 このように、現在の青年たちが自分に誇りを持って生き続け、働き続けるためには、憲法と労働法を学び、自ら権利を自覚的に行使する中で血肉化していくことが必要となってきています。
 ですから、今や中学や高校、大学で憲法、労働法をきちんと教えることは、生きる「力」と「武器」を与えるものとなっているといっても過言ではありません。
 これらの学校で憲法・労働法教育に関わっておられる先生方の役割は、これまでになく重要となっています。また、最近出張授業などを担当させていただくことも多い私たち弁護士・法律家の役割も大変大きくなっていると思います。

6 「過労死防止基本法」の制定を
 ところで、冒頭で述べた「日本海庄や」や「和民」の事例は、決して特殊な出来事ではなく、現在の苛酷な労働実態全体が過労死・過労自殺と隣り合わせになっていることを示しています。そして、元気で体力のある若者たちでさえ過労死・過労自殺してしまう職場で、中高年労働者が健康で働けるはずがありません。
 前述のように、そこで働く労働者たちが、生きる「力」としての憲法、「武器」としての労働法を得ることも重要ですが、一方で、法律によってそのような働かせ方を是正していくことがどうしても必要です。
 そこで、私たちは、①過労死があってはならないことを国が宣言する、②過労死をなくすための、国・自治体・事業主の責務を明確にする、③国は過労死に関する調査・研究を行うとともに、総合的な対策を行うことを内容とする「過労死防止基本法」の制定を求め、「100万人署名運動」をはじめとする取り組みを行っています。皆様のご支援・ご協力をお願いします(詳しくは実行委員会のHPをご覧ください)。

「いわき弁護士のはばかり日記」No.66(2012年4月12日)より>