労働組合の「原点」を思う ~ある過労死行政訴訟の結審を迎えて~

1 10月19日、大阪地裁809号法廷で、ある過労死事件の行政訴訟が結審した。
 被災者の塚野保則さん(死亡当時35歳)は、報知新聞社の大阪本社の事業部で12年もの経験を持つベテラン部員であったが、平成16年6月6日、報知新聞社主催のキス釣り大会で徳島に出張し、大会の裏方業務をしている最中に、クモ膜下出血を発症して倒れ、6月28日、入院先の病院で死亡した。

2 それから1か月あまりしか経っていない8月上旬、職場の労働組合(報知新聞労組)を通じて相談があり、私の呼びかけで4人の弁護団を結成し、取り組みを開始した。
 しかし、天満労基署への労災申請は不支給となり(平成18年3月)、大阪労災保険審査官への審査請求は棄却された(平成20年11月)。労働保険審査会に再審査請求をするかたわら、平成21年6月2日、行政訴訟を提訴した(なお、再審査請求も平成22年1月に棄却された)。

3 ほとんどの過労死事件では、①持ち帰り残業やサービス残業も含めた労働時間の立証、②その業務の質的過重性、③被災者の基礎疾患の有無・程度と業務による増悪(悪くなること。「ぞうあく」と読む。)が問題となるが、この件でも同じであった。
 私たちはこの件で、①塚野さんはほとんどの土日は、報知新聞社が主催していた「ボーイズリーグ」の大会の観戦やあいさつに出かけていたこと、②前年10月に同期入社の同僚が退職して人手不足の中、様々なイベントが集中したこと、③被災者はお酒とタバコを好んでいたが、それだけでクモ膜下出血を発症することはないことを、全力で主張立証した。

 そして、山場となった5月と7月の証人・原告本人尋問、そして最終準備書面の提出を経て、冒頭の結審期日を迎えたのである。

4 傍聴者は法廷に入りきれず、廊下にあふれた。弁護団の最終準備書面は「陳述します。」だけで終わりだが、原告の信子さんの最終意見陳述は本当に感動的だった。必ずや裁判官の方々の胸に届いたと信じる。

 この件で特筆したいのは、支援してくれる労働組合のすばらしさである。
 職場の労働組合である報知新聞労組が加入する新聞労連(日本新聞労働組合連合)は、全国の新聞社と通信社に働く労働者の約8割の約2万7000人が加入する「産業別労働組合」(産別労組)である。その新聞労連が、「塚野さんの件は人ごとではない」として、「塚野過労死裁判を支援する会」を組織するとともに、全面的に支援してくれているのである。

 新聞社同士は互いに競争関係にあるのに、労働者は企業の壁を超えて連帯し、団結している。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という、労働運動の原点を教えてくれる。すばらしい組合、すばらしい人たちである。
 もちろん、人間が作っている組織である以上、いろんなことがあるかもしれない。しかし、職場で過労死や過労自殺が起こっても、労災申請を支援する組合さえほとんどない中で、産別組合として全国で取り組む姿を見ていると、胸が熱くなる。「労働組合は、本当はこんなにすばらしいものなんだ」と。

6 判決言渡し期日は、12月26日(月)午後1時10分と指定された。
 この日が、「1日遅いクリスマス」でも、「5日早いお正月」でもいい。塚野さんと、新聞社に働く人たちにとって、記念すべき日となることを願う。
(写真は、10月19日の結審後の報告会の様子である。手前左から4人目が塚野信子さん。)

<「いわき弁護士のはばかり日記」No.48(2011年10月21日)より>

 ※上記の判決は、残念ながら敗訴でした(大阪地裁平成23年12月26日判決)。その後大阪高裁、最高裁まで闘いましたが、勝利には届きませんでした。本当に、悔しい限りです。(2024・12・28追記)