2000年、画期的な最高裁判決が相次ぎ、労働省が過労死認定基準を見直し

一 はじめに
 周知のとおり、一九八八年の「過労死一一〇番」以降十数年の間、過労死遺族や弁護団の粘り強いたたかい、支援運動の広がりの中で、過労死の労災認定や企業補償は大きく前進してきた。
 それは、遺族と弁護団のたたかいと支援の広がりが業務上認定や勝訴判決をもたらし、それが世論を動かし遺族を励まして新たなたたかいを生むとともに業務上認定や裁判所の勝訴判決を増やし、また労働省に認定基準の見直しを迫り、それらが更にたたかいを勇気づけるというように展開してきた。
 九五年二月の過労死労災認定基準の改定、九九年九月の過労自殺労災認定基準の制定は、このような流れの中で行われた。
 そして、二〇〇〇年、ついに最高裁において画期的な三つの判決が下され、労働省は過労死労災基準の更なる見直しを余儀なくされるに至った。
 ここでは、この三つの最高裁判決の意義と活用、及び認定基準の見直しの内容と今後の我々の取り組みについて報告したい。

二 電通事件最高裁判決(二〇〇〇年三月二四日第二小法廷判決、労働判例七七九号一三頁)
【事案】
 入社後一年五か月後に自殺した二四歳の青年社員の両親が会社に損害賠償を請求。一審判決(東京地裁九六年三月二八日)は、一億二六〇〇万円を認めたが、二審判決(東京高裁九七年九月二六日)は、本人と両親にも一定の責任があったとして三割の過失相殺を行い、八九〇〇万円を認容。双方が控訴したが、最高裁は過失相殺を否定し、東京高裁に差し戻した(その後差し戻し後の高裁で、会社は遺族に謝罪するとともに、一審判決額に利息を加えた額を支払うという、遺族全面勝訴の和解が成立した)。  

【判決のポイントと活用】
1 長時間労働の心身の健康への影響を正面から認める
 「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。労働基準法は、労働時間に関する制限を定め、労働安全衛生法六五条の三は、作業の内容等を特に限定することなく、同法所定の事業者は労働者の健康に配慮して労働者の従事する作業を適切に管理するように努めるべき旨を定めているが、それは、右のような危険が発生するのを防止することをも目的とするものと解される。」
 これは、当たり前のことではあるが、最高裁がこれを正面から一般論として認めたことの意義は大きい。

2 使用者の健康配慮義務、負担軽減措置義務を認める
 「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であ(る)」「一郎の上司である滝口及び坂本には、一郎が恒常的に著しく長時間にわたり業務に従事していること及びその健康状態が悪化していることを認識しながら、その負担を軽減させるための措置を採らなかったことにつき過失がある」
 これらも、極めて画期的な判示であり、過労自殺の事案のみならず、一般の過労死事案で活用できるものである。
 また、これらは現在増えつつある裁量労働制や年俸制、フレックス制のもとでも妥当するもので、労働現場でのたたかいの武器になり得るものである。

3 労働者のまじめな性格や、同居家族を理由とする過失相殺を否定
(1) 「企業等に雇用される労働者の性格が多様のものであることはいうまでもないところ、ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が業務の過重負担に起因して当該労働者に生じた損害の発生又は拡大に寄与したとしても、そのような事態は使用者として予想すべきものということができる。しかも、使用者又はこれに代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う者は、各労働者がその従事すべき業務に適するか否かを判断して、その配置先、遂行すべき業務の内容等を定めるのであり、その際に、各労働者の性格をも考慮することができるのである。したがって、労働者の性格が前記の範囲を外れるものでない場合には、裁判所は、業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するに当たり、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因としてしんしゃくすることはできないというべきである。」

(2) 「原審は、一審原告らは、一郎の両親として一郎と同居し、一郎の勤務状況や生活状況をほぼ把握していたのであるから、一郎がうつ病にり患し自殺に至ることを予見することができ、また、一郎の右状況等を改善する措置を採り得たことは明らかであるのに、具体的措置を採らなかったとして、これを一審被告の賠償すべき額を決定するに当たりしんしゃくすべきであると判断した。
 ……しかしながら、……一郎は、大学を卒業して一審被告の従業員となり、独立の社会人として自らの意思と判断に基づき一審被告の業務に従事していたのである。一審原告らが両親として一郎と同居していたとはいえ、一郎の勤務状況を改善する措置を採り得る立場にあったとは、容易にいうことはできない」
 過労死や過労自殺の事案では、企業側はしばしば「自発労働論」を主張するが、右(1)の判示は、これを明確に否定するものである。
 また、(2)の判示は、夫や妻の過労死を止められなかったと自らを責めがちな遺族を大きく励ますものである。

4 「過重労働・ストレス→うつ病り患→自殺」の機序を認定
 「うつ病は、抑うつ、制止等の症状から成る情動性精神障害であり、……うつ病にり患した者は、健康な者と比較して自殺を図ることが多く、うつ病が悪化し、又は軽快する際や、目標達成により急激に負担が軽減された状態の下で、自殺に及びやすいとされる。
 長期の慢性的疲労、睡眠不足、いわゆるストレス等によって、抑うつ状態が生じ、反応性うつ病にり患することがあるのは、神経医学界において広く知られている。もっとも、うつ病の発症には患者の有する内因と患者を取り巻く状況が相互に作用するということも、広く知られつつある。仕事熱心、凝り性、強い義務感等の傾向を有し、いわゆる執着気質とされる者は、うつ病親和性があるとされる。」
 これは、過労自殺事案においてもっとも多いうつ病や抑うつ状態での自殺について、過重労働との関係を一般的に判示したものとして重要である。
 九九年九月に制定された過労自殺の労災認定基準は、「出来事」や「出来事に伴う変化」を重視し、かつ、「勤務・拘束時間の長時間化」「ノルマが達成できなかった」「出向・左遷」「仕事上の差別、不利益取扱い」「上司とのトラブル」などをすべて「ランクⅡ」にとどめ、また本人の「ストレス脆弱性」を問題にするなど、重大な問題を抱えている。今後、過労自殺事案において、この最高裁判決を積極的に活用していくことが必要である。

5 最高裁の歴史に残る画期的判決
 この電通事件最高裁判決は、人権裁判史上も極めて画期的な判決といえる。なぜ現在の最高裁がこのような判決を出すことになったかについては、いろいろな議論や考察が必要であるが、過労死や過労自殺をめぐる労災認定や企業責任追及において、積極的に活用すべきであるし、労働運動においても、常に念頭において取り組むことが求められよう。

三 東京海上横浜支店長事件最高裁判決(二〇〇〇年七月一七日第一小法廷判決、労働判例七八五号六頁)   
【事案】支店長付きの運転手(当時五四歳)がくも膜下出血を発症したことにつき、労災として休業補償を請求。一審横浜地裁は原告が勝訴したが、二審東京高裁は原告を逆転敗訴させた。   

【判決のポイントと活用】
1 過重性の評価要因の具体化と「慢性疲労」の肯認
 「上告人の業務は、支店長の乗車する自動車の運転という業務の性質からして精神的緊張を伴うものであった上、支店長の業務の都合に合わせて行われる不規則なものであり、その時間は早朝から深夜に及ぶ場合があって拘束時間が極めて長く、また、上告人の業務の性質及び勤務態様に照らすと、待機時間の存在を考慮しても、その労働密度は決して低くはないというべきである。
 上告人は、遅くとも昭和五八年一月以降本件くも膜下出血の発症に至るまで相当長期間にわたり右のような業務に従事してきたのであり、とりわけ、右発症の約半年前の同年一二月以降は、一日平均の時間外労働時間が七時間を上回る非常に長いもので、一日平均の走行距離も長く、所定の休日が全部確保されていたとはいえ、右のような勤務の継続が上告人にとって精神的、身体的にかなりの負荷となり慢性的な疲労をもたらしたことは否定し難い。」
 「右前日から当日にかけての業務は、前日の走行距離が七六キロメートルと比較的短いことなどを考慮しても、それ自体上告人の従前の業務と比較して決して負担の軽いものであったとはいえず、それまでの長期間にわたる右のような過重な業務の継続と相まって、上告人にかなりの精神的、身体的負荷を与えたものとみるべきである。」
 労働省はこれまで、発症当日と前日、及び発症前一週間の業務の過重性を評価し、それ以前の業務は基本的に重視しないという考え方をとり、強い批判を受けてきたが、この判決は長期間にわたる慢性疲労による健康への悪影響を正面から認め、労働省の認定行政に根本的な見直しを迫るものである。
 また、過重性の評価のための要因を具体的に示したことも重要である。

2 脳動脈りゅうの「破綻」ではなく「成長」の原因を問題にしたこと
 「上告人は、くも膜下出血の発症の基礎となり得る疾患(脳動脈りゅう)を有していた蓋然性が高い上、くも膜下出血の危険因子として挙げられている高血圧症が進行していたが、同五六年一〇月及び同五七年一〇月当時はなお血圧が正常と高血圧の境界領域にあり、治療の必要のない程度のものであったというのであり、また、上告人には、健康に悪影響を及ぼすと認められるし好はなかったというのである。
 以上説示した上告人の基礎疾患の内容、程度、上告人が本件くも膜下出血発症前に従事していた業務の内容、態様、遂行状況等に加えて、脳動脈りゅうの血管病変は慢性の高血圧症、動脈硬化により増悪するものと考えられており、慢性の疲労や過度のストレスの持続が慢性の高血圧症、動脈硬化の原因の一つとなり得るものであることを併せ考えれば、上告人の右基礎疾患が右発症当時その自然の経過によって一過性の血圧上昇があれば直ちに破裂を来す程度にまで増悪していたとみることは困難というべきであり、他に確たる増悪要因を見いだせない本件においては、上告人が右発症前に従事した業務による過重な精神的、身体的負荷が上告人の右基礎疾患をその自然の経過を超えて増悪させ、右発症に至ったものとみるのが相当であって、その間に相当因果関係の存在を肯定することができる。」

 脳動脈りゅうは「発生」「成長」「破綻」の三段階があるが、「発生」は多くは先天的なものである。これまでは、その「破綻」が業務の過重性によるものであるかどうかが問題にされてきた(本件の一審、二審も同じである)。
 しかし、この判決は、長期間にわたる「成長」が過重な業務によるものであるとし、「破綻」は業務と無関係な「一過性の血圧上昇」で起こったとしても業務起因性があるとしたのである。
これは、前述の「慢性疲労」の考え方と相まって、大きな意義を有するものである。

四 大阪淡路交通事件最高裁判決(二〇〇〇年七月一七日第一小法廷判決、労働判例七八六号一四頁)   
【事案】観光バス運転手(当時五一歳)が高血圧性脳出血を発症し左半身マヒの後遺障害が残り、労災として療養補償給付を請求。一審神戸地裁、二審大阪高裁とも原告勝訴。
【意義と活用】
この最高裁判決自体は、労基署側の上告を定型的な理由で棄却しただけで、自らは積極的な判示はしていない。重要なのは、最高裁が支持した大阪高裁の次のような判示である。
(1)車の運転や寒冷暴露など業務による血圧上昇の反復が、脳内小動脈りゅうの形成をその自然的増悪の経過を超えて進行させ、運転中の一過性血圧上昇を引き金として破裂、発症させた。
(2)過重性の判断は、「被災労働者が基礎疾病を有しながらも従事していた日常の業務につき、その通常の業務に耐え得る程度の基礎疾病を有する者をも含む平均的労働者を基準とすべきである」。
右の(1)は、前記の東京海上判決と同趣旨といえる。
(2)は、過重性の判断は、誰を基準にして行うべきかという問題である。労働省の認定基準では、「当該労働者と同程度の年齢、経験等を有し、日常業務を支障なく遂行できる健康状態にある者」としているが、右高裁や最高裁は、日常業務に耐え得る程度の基礎疾患を有する、いわば「平均的労働者の最下限の者」を基準とすべきであるとしたのである。
 労基署側は労災認定や訴訟で、「もっと長時間働いている同僚がいるのに、彼らは発症していない」などと主張してきたが、この判決は明確にこれを否定するものである。

五 労働省による認定基準見直し表明
1 労働省労働基準局補償課は右三、四の最高裁判決を受け、二〇〇〇年一〇月一二日、「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものをのぞく。)の認定基準の見直しに向けた検討の着手について」を発表し、「この判決を踏まえた業務上外の判断がなされるよう認定基準の見直しを行うこと」を明らかにした。見直しは本年八月を目途とするとされている。

2 労働省が挙げている見直しの主な内容は、次のとおりである。
 業務の過重性の評価に当たり、就労態様に応じた具体的な評価要因として、次のaからgなどの諸要因を認定基準に具体的に取り込む。
a 精神的緊張を伴う作業  
b 不規則な勤務
c 早朝から深夜に及ぶ拘束時間が極めて長い業務
d 労働密度が低くはない業務
e 非常に長い時間外労働及び長い走行距離を伴う 業務
f 十分な休憩が取れない作業環境下における業務
g 寒冷等ばく露業務
 業務の過重性の評価にあたり、慢性の疲労や過度のストレスの持続が慢性の高血圧症、動脈硬化の原因の一つとなり得ることを踏まえたものにする。
 業務の過重性の評価に当たり、従来の「発症に接近した時期(発症前・前日・一週間以内)における過重負荷を中心に評価する考えを取っており、その具体的な過重性の評価は、医学経験則上、発症前一週間程度をみれば評価する期間は十分であるとされていることから、まず、発症直前から前日までの業務、次に発症前一週間以内の業務をみて、一週間以内の業務が相当程度過重であった場合にのみ、一週間より前の業務の過重性を評価の対象として」きたことを見直す。

3 右の見直しの開始は、前記最高裁判決を受けた当然の措置であるが、労働省がこれまでの考え方の根本的転換を嫌い、最高裁判決の水準を矮小化したり限定的に理解するなどの画策をすることは十分に考えられる。それを許さない闘いが求められている。
【弁護士 岩城 穣】(2000年1月1日)