一 「通知人は貴殿に対し、東住吉区鷹合一丁目〇〇の宅地84.41平方メートルを地代2万7400円にて賃貸しておりますが、前回の値上げから既に2年を経過しております。つきましては、右地代を以下のように値上げ請求します。
平成9年8月から平成11年7月まで 月3万0200円
平成11年8月から平成13年7月まで 月3万3200円
平成13年8月から平成15年7月まで 月3万6500円」
平成9年7月、このような内容証明郵便(面積や金額は少しずつ異なる)が、借地人(建物所有者)らに送りつけられてきた。この地主は頻繁に地代を値上げしてくることで有名で、昭和63年にも大幅な地代増額訴訟を起こされ、私と蒲田弁護士が19世帯から依頼を受けて闘い、平成元年、増額幅を請求の20%に抑えて和解を成立させた。ところが地主はその後平成3年に、今回の内容証明と同じように将来3回分(平成3年、平成5年、平成7年)の増額を請求してきた。当時はバブル絶頂期であったため、借地人らは泣く泣く要求を飲んでしまった。すると今回、バブル経済も崩壊しているのに、またしても将来3回分の増額請求をしてきた訳である。しかも、たまたま平成9年7月に更新時期を迎える借地人に対しては「右賃料増額請求に応じていただけない場合は、契約を更新せず、右土地を明け渡していただきます。」という脅しまで付けられていた。
二 この地域は一人暮らしや年金暮らしのお年寄りも多く、「もう我慢できない」ということで、26世帯がまとまって再び私と蒲田弁護士に依頼した。私たちが「地代の増額は3年ごとが一般的である。将来分までの増額請求は認められない。平成3年以降地価は下落が続き、公租公課の上昇もなく、近隣の地代に比較しても特に安いわけではない。地代増額に応じないことは借地契約の更新拒絶の正当事由には該当しない」という内容証明郵便での回答書を送ったところ、地主は調停を申し立ててきた(平成3年の新借地借家法の制定により、いきなり訴訟を起こすことはできず、現在はまず調停を起こさなければならないことになっている)。
三 調停は4回にわたって行われ、毎回たくさんの方々が出席した。その中で地主側に要求して公租公課の資料を出させたところ、平成9年の公租公課は平成7 年よりも逆に下がっていることが判明した。また、近隣でもっと地代の安い例がいくつもあることを調査して資料を提出した。
そのような経過を経て、不動産鑑定士の調停委員が出してくれた調停案は、平成七年の地代に大阪市の家賃指数の増大分だけを上乗せし、かつ、公租公課が減った分は差し引くというものであった。その結果、わずか0.3%~2.4%、金額にして数百円(最も少ない人で92円)の増額であった。増額の積極的な理由がないことから地主側はしぶしぶこの調停案をそのまま受け入れて調停が成立した。
四 土地の価格は上がりつづけるという「土地神話」は崩壊し、出口の見えない長期不況、賃金の抑制と福祉の削減が続く中で、本件のように地代や家賃だけは引き続き増額され、泣く泣く応じる人々も多いのではなかろうか。そういう中で、本件調停は画期的といえよう。弱い借り主でも団結して力をあわせれば、このような成果も挙げられるという一例である。
(いずみ第8号「弁護士活動日誌」1998/8/25発行)