1994年1月1日
Sさんは明治40年生まれの女性で、終戦直後の昭和23年ころから、中央区にある五軒長屋に借家住まいをしている。ずっと昔に亡くなったご主人との間には子供はなく、月々にすると約11万円の年金で一人で暮らしている。まだまだ元気で、選挙では共産党を一生懸命応援し、当事務所 の署名なども近所を歩いて回って集めてくれる、頑張り屋の人だ。
家主も同じように夫に先立たれた女性で、これまで何度も家賃増額の話があったが、昨年(1993年)3月、家賃をこれまでの3万8000円から何と月10万円にしてほしいと通知がきた。これは月々の年金とほとんど同じ額であり、払えるはずもない。私が増額を断る手紙を出すと、家主からSさんに毎日のように電話で嫌がらせや泣き言が続いた。
そこでやむなく、「家賃確認の調停」を申し立てた。ところが、担当事務局にも協力してもらって近隣の家賃の調査をしたところ、どちらかというとSさんの家賃は安い方であることがわかったのである。調停の待合室で不安そうにポツリと話したSさんの「先生、年をとってから住むところがないほど、みじめなことはありませんね」という言葉が重くのしかかる。
何かいい方法はないかと、全大阪借地借家人組合連合会の船越事務局長に相談すると、「地代家賃統制令の廃止に伴り府営住宅の優先入居制度というのがあります。もうすぐこの制度もな くなるので、最後のチャンスですよ」とのことだったので、事務局に書類を揃えてもらって申込みをしたところ、幸い入居資格をもらうことができた。しかし、その住宅は平野区の喜連瓜破にあり、住み慣れた地域の人々からも、今通院している民主的な病院からも遠く離れてしまう。
他方、調停の方は、調停委員の努力もあって、当面月4万2000円、今年6月から4万5600円とすることで話がまとまった。Sさんは今、どちらを選ぶべきか悩んでいる。
長年住み慣れた土地で人生を全うすることは基本的人権のはずだ。そんなささやかな望みさえ奪う、弱者・高齢者に冷たい政治。こんな時代が続いていいものかと、改めて怒りを覚える。
弁護士 岩城 穣(「天王寺法律事務所ニュース」第48号 1994年1月1日発行)