◆「過労死110番」は1988年4月に初めて大阪で、続いて同年6月に全国7か所で行われたのが最初である。登録したばかりの新人弁護士だった私は先輩弁護士に誘われて参加し、その後30年間、この電話相談に参加してきた。
私たちは、過労死事件の労災申請や行政訴訟、民事訴訟のほか、労基法違反の一斉告発や労基署への通報、過労死企業名開示請求訴訟などに懸命に取り組んできたが、過労死は減ることなく、かえって過労自殺(自死)が激増し、世代や性別、業種や職種、正規・非正規を越えて広がり、過労死110番への累計相談件数は1万2000件に迫っている。
2011年からは過労死防止基本法の制定運動を開始し、2014年「過労死等防止対策推進法」(過労死防止法)の制定を勝ち取った。その結果国は過労死の調査・研究を開始し、また全都道府県での過労死防止啓発シンポジウムや、高校・大学での過労死防止啓発授業への講師派遣が本格的に始まっている。
◆2018年6月13日、過労死110番の30周年記念シンポジウムが東京・品川のホテルで開かれた。
シンポジウムでは、厚生労働省、過労死家族の会などの来賓のご挨拶の後、関西大学名誉教授の森岡孝二先生と精神科医の天笠崇先生から記念講演をいただいたほか、岡村親宜・松丸正・水野幹男の3人の代表幹事、川人博幹事長、玉木一成事務局長が30年を振り返るあいさつや報告を行った。私も過労死防止法の制定運動の経過と「働き方改革関連法案」(働き方法案)の問題点について報告した。
◆続いて行われた懇親会では、長い間共に頑張ってきた全国の関係者が華やかな雰囲気の中で30年間を振り返り、交歓した。圧巻は、過労自殺でお父さんを失い「ぼくの夢」という詩を作った「マー君」(当時6歳で今は大学院生)のご家族と、この詩をもとにした楽曲「ぼくの夢~ある過労死遺児の詩~」を収録したCDを制作してくれた「ダ・カーポ」の対面が実現したことである。ダ・カーポのお二人の優しい歌声が会場を包み込み、盛り上がりは最高潮に達した。
◆ただ、一方で、過労死110番が30年を迎えたということは、30年かかっても過労死を無くすことができなかったことでもある。職場の荒廃はいっそう広がり、また「働き方法案」は6月29日、強引に成立させられてしまった。この日本から過労死をなくすことは容易ではないが、困難を乗り越えてまた新たに進んでいきたい。そんな思いを強くしたシンポジウムであった。
(弁護士 岩城 穣)
(春告鳥第8号 2018.8.8)