労基署職員の対応に対して国家賠償請求─問われる労基署の役割と担当職員の姿勢

一 上田裕子さんの夫、善顯さん(当時59歳)は、和歌山県の勝浦にあるホテルで料理長を長年務めていたが、経費と人員の削減のなかで超長時間・過密労働が続き、2000年3月、ホテルの役員会の席上、突然クモ膜下出血を発症して倒れた。
 意識が戻らず、半ば植物人間になった善顯さんを必死で看病しながら、裕子さんは労働災害の申請を思い立ち、同年七月、新宮労基署を訪れた。

二 しかし、そこで担当者から浴びせかけられた言葉は、信じられないものであった。
「労災申請は、会社を通じてしかできません。」
「仮に会社を通じて申請してもらってもダメです。まず労災は下りません。自宅で行っていた献立の作成は、業務ではありません。後払いや手当など、会社から基本給以外に少しでもお金をもらっていたら、時間外手当をもらっていたことになります。」
「奥さんが知らないだけで、朝、ご主人は奥さんに会社に行くと嘘をついて、どこか別のところへ(小指を立てながら)行っていたのかもしれませんよ。」
「奥さん、女だてらによく一人で来たな。あんたらみたいな人が来ると僕らの仕事が余計忙しくなってくるんや。もうこんといて。」

三 この日を境に、裕子さんは食欲不振、嘔吐、不眠が始まり、極端な人間不信、対人恐怖症になった。電話に出られず、玄関のブザーまで外した。
事情聴取で労基署に呼ばれて行くと、震えが止まらず、椅子から崩れ落ち、声も出なかった。
2001年4月、医師に相談すると、「うつ病」と診断され、現在も通院中である。

四 裕子さんは、一時は労災申請自体取り下げようとまで考えたが、大阪過労死家族の会に出会い、互いに励まし合う中で、労災申請を最後まで貫くとともに、会社に対する損害賠償請求をも決意した。
その準備に入った2002年11月下旬、担当者が交代した新宮労基署から、労災認定の知らせが届いたのである。


五 裕子さんは、2003年3月、会社を被告として損害賠償請求訴訟を和歌山地裁に提訴したが、同年7月、この担当者と国を被告とする国家賠償請求訴訟も起こす予定である。

六 裕子さんの例ほどではないが、労基署の担当者から冷淡な対応をされ、辛い思いをした遺族は決して少なくない。
この訴訟を通じて、労基署の本来の役割と、求められる職員の姿勢について、広く問題提起をしていきたいと考えている。

【弁護士 岩城 穣】(いずみ第15号「弁護士活動日誌」2003/7/20発行)

※この国家賠償請求訴訟はその後勝訴し、確定しました。
 新宮労基署(過労死遺族への職員の暴言に対する国家賠償請求)事件
 和歌山地裁平成17年9月20日判決(労働判例905・20)