本件については、これまでに民主法律時報361号(2002年6月号)及び同365号(同年10月号)で有村とく子弁護士から報告がなされているので、最近出された高裁判決及びこれから始まる上告審での争点を中心に報告したい。
一 為実事件とは
株式会社榎並工務店(大阪市浪速区)でガス管溶接工をしていた為実茂夫さん(当時54歳)は、阪神大震災を踏まえて、大阪市内でガス管をボルト連結から溶接連結に変更する工事が急増したことから、平成7年年末ころから急速に溶接業務が増えてきた状況のもとで、平成8年5月25日、作業中に脳梗塞(脳塞栓)で倒れ、同月29日死亡した。
半月後、妻の静子さんは同年6月15日の「過労死110番」に電話し、弁護団として取り組むことになった。
その後の経過は、次のとおりである。
H8・6・15 過労死110番に相談
H9・6・20 証拠保全申立
7・16 証拠保全実施(就労表、予定表、溶接士個人管理表などを入手)
H10・5・29 労災申請と民事訴訟提起を同時に行う
H12・3・31 大阪中央労働基準監督署が不支給決定→審査請求
H14・3・18 審査請求棄却「新認定基準で判断したが、時間外の時間基準に達しない」→再審査請求
4・15 民事一審判決(一部2200万円認容)→双方控訴
10・9 審査会係属中だが、行政訴訟を提訴
H15・5・29 民事高裁判決→双方上告受理申立(当方は上告も)
二 民事一審判決の意義と問題点
会社は業務の過重性(実作業時間は短い、手待ち時間が長い)、医学的因果関係(被災者には心房細動の持病があった)の二点で徹底的に争ったが、民事一審判決(大阪地裁平成14年4月15日)は、弁護団も驚くほど詳細な事実認定をしたうえで過重性と相当因果関係を認め、約2200万円の賠償を命じた。
もっとも、他方で同判決は、被災者の心房細動の基礎疾患を重く見て、3分の2もの過失相殺・寄与度減殺を行った。これに対して、双方が控訴した。
三 民事高裁判決の意義と問題点
1 先日下された控訴審判決(大阪高判平成15年5月29日)は、一審の詳細な事実認定を基本的に維持し、会社側の主張をすべて退けたうえで、過失相殺による減額を四割にとどめた。その結果、認容額は4400万円に倍増した。
2 過労死をめぐる行政訴訟の勝訴判決は約150件に及んでいるのに対し、民事損害賠償請求訴訟の勝訴判決は十数件しかなく、過労自殺に関する電通事件を除けば、本件は大阪高判平成8年11月28日(石川島興業急性心不全死事件)、東京高判平成11年7月28日(システムコンサルタント脳出血死事件)に続き3件目である。
3 この高裁判決で特に注目されるのは、過失相殺・寄与度減殺についての考え方の点である。
いわゆる過労自殺の事案では、電通事件最高裁判決(平成12年3月24日)は、「企業等に雇用される労働者の性格が多様のものであることはいうまでもないところ、ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が業務の過重負担に起因して当該労働者に生じた損害の発生又は拡大に寄与したとしても、そのような事態は使用者として予想すべきものということができる。しかも、使用者又はこれに代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う者は、各労働者がその従事すべき業務に適するか否かを判断して、その配置先、遂行すべき業務の内容等を定めるのであり、その際に、各労働者の性格をも考慮することができるのである。したがって、労働者の性格が前記の範囲を外れるものでない場合には、裁判所は、業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するに当たり、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因としてしんしゃくすることはできないというべきである。」
として、「性格を理由とする減額」を否定した。その結果、過労自殺の事案では、原則として寄与度減額や過失相殺はなされない扱いが増えつつある。
ところが、いわゆる過労死事案では、被災者の基礎疾患の重さや、被災者が医師の治療を受けなかったなどの理由で、時には5割、6割といった大幅な減額が行われており、過労自殺事案との間で一種の「逆転現象」が生じているのである。
4 この点で、本件の高裁判決は、次の2点で重要な判断を示した。
第1に、「使用者は労働者が業務遂行によって健康を害さないよう配慮すべき第一次的責任を負っている」として、労働者の健康を悪化させない第一次的な責任は使用者にあることを明言した。これは、従前の一部の下級審判例(神戸地姫路支判平成7年7月31日〔石川島興業急性心不全死事件一審〕・大阪高判平成8年11月28日〔同二審〕、大阪地判平成14年2月25日〔関西医大研修医急性心筋梗塞死事件〕等)の流れを定着させるものとして重要である。
第2に、「被災者の身体的な素因等それ自体を過失相殺などの減額事由とすることは許されない」としたことである。これは、電通事件の最高裁判決や交通事故事案に関する最判平成8年10月29日(判時1593号58頁)を意識したものと思われ、従前の悪しき流れを断ち切る画期的なものといえる。
5 もっとも、高裁判決は、4の一般論を述べつつ、本件では①被災者は医師から心房細動の治療を指示されながら従わなかった、②被災者は発症前々日から前日にかけての夜勤で溶接作業中に鉄粉が目に突き刺さる事故に遭い、その痛みで丸2日間ほとんど眠れなかったにもかかわらず、そのことを上司に報告しなかった、として結局、4割もの過失相殺を行った。
四 上告審での争点
この高裁判決に対しても、会社側は上告受理申立を行い、我々も上告及び上告受理申立を行ったことから、ついに本件は最高裁の判断を仰ぐことになった。
我々の上告理由及び上告受理申立理由のポイントは、前述の電通事件最高裁判決とのバランスも考慮しつつ、過労死事案における過失相殺の基準を明確にする必要があること、基礎疾患があっても、本件のような著しい過重業務がなければそれなりに業務をこなせていたのであるから、前述のような2点を根拠に4割もの過失相殺を行うことは認められないこと、である。
これまで、いわゆる過労死の民事損害賠償事案でこの問題について判断した最高裁判決は出されていないことから、本件における最高裁の判断が注目されるところである。
五 浮き彫りとなった認定基準の問題点と行政の対応
本件は、前述のように、労災申請と損害賠償請求の提訴を同時に行ったにもかかわらず、民事訴訟は高裁までが認容したのに対し、行政手続では、新認定基準制定後も含めてことごとく業務外とされたうえ、労働保険審査会・行政訴訟のいずれにおいても、労基署側は未だに業務起因性がないとして争っている。本来労働者とその遺族の生活保障を目的とする労災補償制度が、逆に遺族の生活保障の足かせとなっているのである。
労働時間のみを事実上重視し、不規則勤務や深夜勤務、精神的緊張といった要素を軽視する現在の認定規準とその運用、いったん業務外決定をした以上、行政のメンツにこだわって最後まで争うという行政の対応の不当性が、典型的に表れているケースといえる。
六 おわりに
妻の静子さんは、茂夫さんが亡くなってわずか半月後に「過労死110番」に電話して救済を求めてきた。にもかかわらず、その後7年以上が経過しながら、いまだに何の補償も得られていない。
高裁で敗訴してもなお責任を認めようとしない会社、民事では高裁判決まで業務起因性を認めているにもかかわらずメンツにこだわって行訴で争い続ける認定行政。
静子さんは、最近いっそう目が悪くなっているにもかかわらず、亡くなった夫を思い、勝訴判決が出される度に、夫の墓前への報告を欠かさない。
弁護団は、7年以上かかってもなお救済できないもどかしさ、悔しさを噛みしめつつ、そんな静子さんを励まし、勝利への最後の決意を固めあっている。(なお、高裁判決に基づく仮執行として我々が会社の銀行預金を差し押さえたところ、「反対債権あり」ということで不発に終わったが、その後会社から「一部を支払うので差し押えを取り下げてほしい」との申し出があったことから、8月6日覚書を調印し、内金として相当額の仮払いを受ける事が出来た。) (弁護団は、原野早知子、村瀬謙一、有村とく子と私の4名である。)
【弁護士 岩城 穣】(民主法律253号・2003年8月)