正職員からパート職員に切り換えた翌年にされた雇止めにつき無効判決を勝ち取った事案のご紹介

 Iさんは、病院を経営するS医療法人に1978年に採用され、主として事務方の業務を担当し、2005年からは運営企画室という部署で電子カルテなどの管理業務に就いてきました。
 Iさんは社労士の資格を有していたこともあって、2009年5月から職場の労働者の過半数代表者(労基法36条、同施行規則6条の2)に選出されました(任期1年)。
 他方、Iさんは同年8月初め、法人に対して、「自分の勤務日数をおおむね半分にし、それで削減できる人件費を使い、新人1名を採用し、電算業務の充実を図ってほしい。人件費は現状のままでマンパワーのアップが達成でき、現状の業務量の増加と将来への対策になります。」という申し入れを行い、その後協議を重ねた結果、2010年3月18日、次のような内容の「職員再雇用契約書」を調印し、パートタイム職員となりました。なお、この申し入れにおける雇用契約の変更の時期は母親の疾病(末期がん)の今後の悪化に伴う介護の必要性を幾分見据えたものでした。
 ①契約期間は、2010年3月16日から2011年3月15日まで、更新は1年毎
 ②担当業務、勤務時刻は従来と同じ
 ③勤務日は月から土のうち3日(週3日勤務)
 ④給与は月額25万円
 ⑤社会保険・労働保険の適用あり
 ⑥定年は60歳、継続再雇用は就業規則に準ずる
 Iさんは同年5月、過半数代表者に再任され(任期1年)、時間外労働の削減、育児休業に関する就業規則の改訂、過重労働の防止と36協定の遵守といった事項について、法人側と粘り強く交渉に努めました。
 すると、法人はこのようなIさんを疎ましく思ったのか、同年12月、契約を更新しない(雇止め)と通知してきたのです。
 雇止め期日の翌日である2011年3月16日、Iさんが職場に出勤すると、法人はIさんの就労を拒否しました。
 そこで、Iさんは法人に対し、雇止めは無効であるとして、雇用契約上の地位の確認と雇止め後の賃金の支払などを求めて提訴しました(弁護団は、同じあべの総合法律事務所に所属していた和田香弁護士と私)。
結果は、一審大阪地裁平成24年11月16日判決(労働判例1068号72頁)、控訴審大阪高裁平成25年6月21日判決(労働判例1089号56頁)のいずれも、雇止めを無効とする判決がなされ、賃金も遡って支払われました。
このように明らかに不当な雇止めに対し、理を尽くして争っても勝訴して白黒をつけるのはこれだけ大変だと改めて感じますが、勝利したIさんにとっては、自分の尊厳をかけた闘いでした。Iさんに対して、心から敬意を表します。

<I.Mさんからの一言>
 暗闇の中の墜落から明るい未来への上昇、そしてついに原職復帰!    I.M

1 ご紹介頂いた裁判は、双方が最高裁に上告受理申立を行い、双方とも上告不受理の決定が出たのが平成25年12月13日、決定後1ヶ月程度の自宅待機命令を勤務先法人から受け、職場復帰したのが平成26年1月16日でした。一方的な雇止め通告で就労を拒否されたのが平成23年3月16日でしたので、実に2年10か月ぶりに職場に戻ることができました。

2 雇い止めの事前予告が平成22年12月29日にあり、年明け早々に岩城先生に相談をお願いし、両先生にお世話になることになりました。雇い止め通告から2か月半は、職場へ出勤して使用者側と対峙したため威圧を受けたり疑心暗鬼にとらわれたりしました。心理的にはこの時期が最も苦しかったと言っても過言ではありませんでした。そういった不安な心理状態の時に寄り添って頂くことが出来たのは本当にありがたかったです。

3 裁判の経過はご紹介のとおりですので、私の心情を記させていただきます。
この裁判の発端には、職員過半数代表者としての私の活動に対する勤務先経営陣の嫌悪がありました。私は社労士資格を持った職員過半数代表者として法に則った意見をアドバイスし、医療に携わる職員の働く環境の改善を、できる範囲で目指しておりました。丁寧に、あきらめることなく、さまざまの提案や意見提示を行いました。しかし、当時の勤務先の経営陣には、そのような働く側からの動きを、是々非々で前向きに受け入れる文化がなかったのです。私からの働きかけは、経営側サイドのリスク回避と職員満足による生産性の向上に軸足を置いたもので、いたずらに経営陣を刺激することのない内容のつもりでしたが、当時の経営陣には、ものを言う労働者は目障りであったのでしょう。私の提案等は自分たちの平和をかき乱す攪乱因子にすぎず、強く結びついているはずの働く者の生活の向上と勤務先の発展が目に入らなかったというわけです。ありていに言えば、何を意見提示しているかはともかく、「うるさい奴」を排除するということだったのです。この図式は増加する個別労使紛争のかなりの部分の基調でもありますが、労使のコミュニケーションの欠陥に他ならず。重要な経営資源である労使関係の喪失に繋がります。

4 随分話が逸れてしまいましたが、上記の経過において法を逸脱した勤務先経営陣の対応は、私の個人の尊厳を冒涜するものであり、社労士としても看過できるものではありませんでした。この私の漠とした思いを岩城先生と和田先生にお話しし、法律的に整理していただき、訴状や準備書面を作成して頂くことで強力なベクトルを得ることができました。両先生のところへたどり着くまでは、真っ暗闇の茫漠とした空間を頭から旋回しながら墜落していくようなイメージで、いったいどこまで行くのか、いったいどうなるのかという、大きな不安がありました。その不安を先生方が、薄皮を1枚1枚はがすように晴らしてくださったことで、ついには、闇の中の墜落ではなく、明るい未来に向けての力強い上昇に転化しました。先生方のお力添えで心象風景は一変し、ついには原職復帰という当初の目的を達成することができました。
素敵な両先生に、改めて御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。岩城先生、今後も理不尽を許さない、ますますのご活躍を祈念申し上げます。

5 なお、この裁判例はご紹介文にある「労働判例」をはじめとして複数の雑誌・著作等で取り上げて頂く結果となりました。労働者にとって役立つ貴重な先例を作ることができたことも、私にとって大きな喜びです。重ねて御礼申し上げます。

◆大阪地裁平成24年11月16日判決
2013.3  労働判例ジャーナル
2013.7  労働判例(1068号72頁)
2013.8  労基旬報 判例研究
2013.9  労働新聞 最新労働判例
2013.10 福島県労働委員会 裁判例紹介
2015.7  ジュリスト 労働判例研究

◆大阪高裁平成25年6月21日判決
2014.6 労働判例(1089号56頁)
2014.11 労働研究雑誌 ディアローグ労働裁判 この1年の争点
2015.3 労働法(第5版) 水町勇一郎
2015.12 労働弁護団 労働判例研究

以上