2013年12月 8日
12月6日、西九条にある「クレオ大阪西」で上演された「劇団きづがわ」の「真珠の首飾り(作/ジェームズ三木、演出/林田時夫)を観てきた。ホールの席は満席で、階段に腰をかけて観劇。
1946年2月2日、東京日比谷のGHQ(連合軍総指令部)の一室に民政局員たちが秘密裏に集められた。招集をかけたのは局長のホイットニ-将軍。日本政府の憲法改正案をスクープ記事で知った連合軍最高司令官マッカーサー元帥は、その保守的な内容ではポツダム宣言の精神が生かされないと失望し、逆にGHQで草案を作成すべし、と民政局に命じたのであった。
ホイットニ-は草案作成のための“3つの原則”を記したマッカーサー・ノートを示し、「締切期限は一週間!」と告げる。 25名の民政局員たちは、22才のベアテ・シロタを含め、20代から50代まで、いずれも弁護士、学者、”日本通”など多士済々のメンバ-たち。作戦命令を受け止めたケーディス大佐(民政局次長)は、秘密厳守の命令の下、ただちに立法、人権、天皇などの7つの委員会(天皇、立法、行政、司法、人権、財政、地方自治)にメンバーを配属し、1週間不眠不休で、草案作成をやりあげるという物語である。
主役のベアテ・シロタ・ゴードンさんは、25人の民政局員の中では最年少の22歳で、憲法起草委員会では人権部門を担当。10年間の日本生活で、貧しい家の少女の身売りなどを見知っていたことから、女性の地位を向上させる条項を強く提案し、14条(法の下の平等)や24条(両性の平等)に反映されたという。
ベアテさんはその後もしばしば講演などで来日するなどしていたが、ほぼ1年前の昨年12月30日、89歳で亡くなった。
私が中学校の社会科で日本国憲法を知った時も、司法試験で日本国憲法を勉強した時も、憲法は最初からあった。そして、前文の独特な文体や、条文数の少なさを感じたりしていた。
しかし、今回劇を観て、当初の日本政府の憲法改正案は明治憲法とほとんど変わらないものであったこと、GHQの憲法草案の原型を作ったのが20名余の民生局員であり、情熱を注ぎ喧々諤々の激しい議論をして作ったこと、その内容は当時の世界の憲法や不戦条約などを研究し、取り入れた「歴史と国境を超えた世界の良心」であったことを、改めて知ることができた。
現在の日本国憲法は保守派の人々から「押しつけ憲法」と言われ、改憲の動きも強まってきている。そんな状況だけに、日本国憲法誕生の経緯や議論の状況を知ることができたのは、大変貴重であった。
また、奇しくも昨日12月6日は、憲法上多くの重大な問題点を含む「特定秘密保護法」が参議院で強行可決された歴史的な日となった。
今後は、これまで以上に、憲法を単なる条文としてではなく、平和と民主主義の理想を掲げた「世界の良心」として大切にしていきたいと思う。
最後に、熱演下さった劇団きづがわの皆さん、ありがとうございました。
※画像は、いずれも劇団きづがわのリーフレットより