大阪労働健康安全センター結成20周年を祝い、北口修造さんの退任を労う

2013年10月14日

◆2013年10月13日、大阪市中央区のシティプラザ大阪で、大阪労働健康安全センター(以下「大阪センター)結成20周年のレセプションが行われた。
 私は、名ばかりではあるが同センターの副理事長ということで、僣越ながら乾杯のご挨拶をさせていただいた。

 大阪センターが結成されたのは1993年12月11日。当時私は弁護士6年目であったが、その結成準備段階から関わり、名称や活動などについて議論に参加したことを覚えている。

 なぜ関わることになったのかはよく覚えていないが、当時平岡事件をはじめ多くの過労死事件を担当し、また1990年12月に結成された大阪過労死家族の会のお手伝いをする中で、「大阪の未組織、不安定雇用を含めた労働者・労働組合のいのちと健康を守るために企業や国に対し、予防と補償の十分な対策を講じさせ、権利を拡大する運動の前進に寄与すると共に、安全衛生活動に携わる関係諸機関(者)との協力体制の向上に資する」ことを目的とするこのセンターの結成に、強く共感を覚えたからだと思う。

 当時はまだ全国センター(働くもののいのちと健康を守る全国センター)も結成されておらず(全国センターの結成は5年後の1998年12月である)、全国に先駆けての地域センターの結成だったようである。

◆あれから早や20年というべきか、まだ20年というべきか迷うが、働く人々のいのちと健康の問題が当時よりもさらに深刻になり、センターの果たすべき役割はいっそう高まっていることは疑いがない。

 レセプションには、大阪で長年安全衛生問題に関わってこられた個人・団体の皆さん約70人が参加された。大阪過労死家族の会からも9人が参加した。
 事務局次長の是枝一成さんと幹事の藤野ゆきさんの司会で、和気あいあいと楽しいひとときをすごさせていただいた。
 アトラクションの牧 志徳さんと奥 ちひろさんの「沖縄島唄演奏」もとても楽しく、カチャーシーや口笛など参加者も加わって、大いに盛り上がった。

◆レセプションの最後に、大阪センターの事務局長を長年務められた北口修造さんの退任のお祝いのセレモニーが行われた。

 北口さんは化学一般という産別労組の専従として、約50年にわたって労働運動一筋の人生を歩んでこられた。特に安全衛生問題に早くから取り組み、大阪センター結成後は事務局長として、数々の過労死事件で支援の会を組織し(N事件、S事件、T事件、K事件、H事件、O事件など)、またそれ以外も多くの過労死・労災事件をセンターとして粘り強く応援して下さった。

 セレモニーでは、北口さんは時に声を詰まらせながら、これらの事件の思い出を語られ、胸が熱くなった。
 仲のよい奥様と共に、センターと過労死家族の会から花束が贈呈された。
 終了後には、家族の会からの参加者に囲まれて、幸せそうな北口さんであった。
 
 役職を退任され寂しくなるが、これからも様々な相談に乗ってもらったり、助言していただけるとのことである。
 今後も末永くご活躍下さることを願う次第である。

「いわき弁護士のはばかり日記」No.140(2013年10月14日)より>