「もうひとつの約束」(2014年公開・韓国映画)

弁護士 岩城 穣(いわき総合法律事務所 1988年弁護士登録)

1 はじめに
 私が映画を観るのは年に10本くらいまでで、およそ映画通などといえるものではありません。そんな私に、なぜこのコーナーの執筆依頼が来たのか謎ですが、せっかくお声かけいただいたのだからと、お受けすることにしました。
 どの映画を選ぼうかと悩みましたが、私は過労死・過労自殺事件等の労災事件に多く関わり、また過労死家族の会や過労死防止全国センター、労働者のいのちと健康を守るセンターなどの運動団体にも関わっていることから、2014年に韓国で封切られた「もうひとつの約束」を取り上げることにします。私はこの映画を、同年11月に大阪で行われた自主上映会で観ました。
 なお、現時点では日本語の字幕付きのものは市販されていませんが、自主上映会をされた全国労働安全衛生センター連絡会議の事務局の皆様がお持ちのようです。

2 映画のあらすじ
 江原道の束草(ソクチョ)でタクシー運転手をしているハン・サングは、妻と2人の子どもと平凡ながら幸せに暮らしていた。家計が苦しかったために大学に進学させてやれなかった娘のユンミが、高校卒業後、韓国屈指の大企業、ジンソン電子の半導体工場に就職できたことは、サングの誇りだった。
 ところが、ほどなくユンミの体に異変が現れる。病名は急性骨髄性白血病。絶望と骨髄移植費用の捻出に苦しむ一家をジンソンの社員が訪れ、5000万ウォンの和解金と引き換えに辞職願いと労災申請放棄の念書にサインを迫る中、ユンミは22歳で亡くなった。
 サングは亡くなる直前に娘と交わした「会社に必ず責任を認めさせる」という約束を果たすため、労災申請するが認定されず、社会保険労務士のユ・ナンジュと力を合わせて被害者を集め、パク・チョンヒョク弁護士を代理人として、産業福祉公団を提訴。しかし、ジンソン電子は様々な妨害を行うとともに、被告側に補助参加して徹底的に争う。「疫学的調査の実施を」と求める原告側に対して「立証責任は原告にある」と突っぱねる会社代理人。自ら情報提供を申し出て証言を約束した労働者は、裁判当日に被告側証人として出廷する‥‥。
 裁判の最後に発言の機会を与えられたサングは、「私たちには証拠があります。ここにいる労働者の体。病気の人々。これが証拠でなければ、何が証拠ですか?」と述べ、裁判は結審。そして判決の日、法廷は歓喜に包まれた──。

3 モデルとなった事件
 この映画は、高校卒業後の2003年にサムスン電子の半導体工場に就職したが、2年あまり経った2005年に白血病を発症し、2007年に23歳で亡くなったファン・ユミさんの父、ファン・サンギさんの裁判闘争を、キム・テユン監督自らが取材し制作しました。
 サムスン電子の半導体工場では、半導体の製造過程で使用される有機溶剤に人体に有害な化学物質が含まれていたため、少なくない労働者が急性骨髄性白血病やリンパ腫などを発症。2007年以降、被害者5人の遺族が労災を申請しましたが認定されず、2009年、労災認定を求めて提訴。2007年11月、19の労働・市民団体と個人が参加して「半導体労働者の健康と人権を守る会」(パノリム)が発足し、ユミさんと似た被害者の事例が多く寄せられました。
 2011年6月、ソウル中央地方法院(地裁)は5人の被災者のうちユミさんともう一人について労働災害と認め(他の3件は敗訴)、3年後の2014年8月、ソウル高等法院(高裁)も同じ判断を下しました。勤労福祉公団は上告を断念し、判決は確定。この映画は、一審判決後に製作が開始され、上映中に控訴審判決が出されたのです。
 なお、その後パノリムはサムスンと粘り強く交渉を続け、2015年10月から2018年7月まで1023日間に及ぶ本社前の座り込みなどを経て、同年11月、半導体とLCD(液晶ディスプレイ)のラインで1年以上働いた前職・現職のサムスン電子の労働者、社内協力業者の労働者で稀少・難治疾患に罹った者をすべて補償対象とする、画期的な仲裁合意が成立したとのことです。

4 製作・上演における苦難
(1) 巨大企業の「不都合な真実」を取り上げた映画
 サムスンは半導体やLED、スマートフォンなどで世界的に有名な企業で、韓国の国内総生産(GDP)の約2割をサムスン・グループが占めるといわれます。その一方で、多角経営による個人商店や中小企業の経営の圧迫、政権との癒着、労働組合の結成を徹底的に嫌悪していることから、最も国民の反感を買っている企業ともいわれます。
 このようなサムスンに批判的な映画が製作され、公開にこぎつけたことは一種の「奇跡」だったといわれます。キム・テユン監督は最初、周囲から「正気か」と言われ、実際、製作資金を出すスポンサー企業は見つからず、出演する俳優を見つけるのにも苦労したといいます。
(2) 韓国映画初のクラウドファンディングによる資金集め
 そこで、韓国映画で初めてクラウドファンディングで映画製作に最低限必要だった10億ウォンを1万人の市民から集め、さらに個人投資も含めて合計15億ウォンを集めることに成功しました。製作費を集める取り組み自体が、大きな社会運動となったのです。募金した人の中にはサムスンの社員や半導体研究者もいたといいます。監督のキム・テユン氏や主演のパク・チョルミン氏もわずかなギャラを寄付したそうです。
 ちなみに、この映画のタイトル「もうひとつの約束」は、以前サムスンの広告で使われていた「もうひとつの家族」と、サムスンのウェブサイトにある「サムスンの5つの約束」(①法・倫理の遵守、②清潔な組織文化の維持、③顧客・株主・従業員の尊重、④環境・安全・健康の重視、⑤グローバル企業市民としての社会的責任)を組み合わせて作ったとのことです。
(3) 多くの映画館が上映を尻込み
 映画が完成した後も困難は続きました。チケットの事前予約が高位にあったにもかかわらず、大手の映画館経営会社がサムスンを恐れて上映に尻込みをしたのです。全国に96の映画館を持つロッテシネマはわずか7か所、全国に60か所の映画館を持つメガボックスはわずか3か所しか上映しませんでした。その後批判の高まりを受け、ロッテシネマは23箇所、メガボックスは29か所に上映館数を増やし、個人経営の映画館などを含めて約100箇所で上映されることになりましたが、それでも決して多くはありません。
 これに関して、同映画の製作委員会や参与連帯、民主主義社会のための弁護士会(民弁)などの市民団体が、ロッテシネマが優越的地位を濫用して映画上映に不利益を与えた疑い(不公正取引行為)で公正取引委員会に申告したと報じられています。

5 感想
(1) 日本の状況との類似性
 この映画を観て感じるのは、立証責任の壁と証拠の偏在、会社側による妨害、社員たちの沈黙など、日本の頚肩腕、アスベスト、職業ガンなどの職業病や過労死・過労自殺事件の構造と大変よく似ているということです。
(2) 上映への圧力
 日本で、特定の大企業に批判的な映画の上映にこのような圧力がかかるかどうかわかりませんが、政府に批判的と見なされたテレビ番組や新聞に加えられる中傷や、スポンサーに対する圧力を見ていると、対岸の火事とはいえないと思います。
(3) クラウドファンディングの持つ可能性
 映画の製作のために、1万人のクラウドファンディングなどで15億ウォンという巨額の資金を集めて映画を完成させた取り組みは驚異的です。
 日本でも、クラウドファンディングが広がりつつありますが、映画製作の分野でも今後広がっていけばいいなあと思います。
(4) 韓国の民主主義の成熟
 この映画製作の取り組みについて、日本の「もうひとつの約束」上映委員会のサイトでは、「軍事独裁から民主化を勝ち取った韓国の民衆は、抑圧の主体が資本へと移った今も、不正と闘うことをあきらめない。」と評しています。私たちも学ぶことが多くあるのではないでしょうか。

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