「花見の回数券」

 また、桜の季節が巡ってきた。
羽二重餅のようにふっくらとしたやわらかい白に、少し上気したように、かすかにピンクがかっている。
この気高さ、上品さはどうだろう。

この花は、年度始めの入学式の時期に、必ず咲く。
小学校・中学校から高校・大学まで、入学の思い出は、桜と重なっている人が多いのではないだろうか。

しかも、この花がすごいのは、つぼみから三分、五分、七分、満開、散り始め、桜吹雪、葉桜と、その時々の趣きがまったく異なることであろう。こんな花が、他にあるだろうか。

毎年、家族や職場の人たちが一緒に「花見」に出かけたり、菊と並んで「国花」と扱われているのは、日本人の心情によく合っているからだろう。

 ところで、1981年に結成された大阪過労死問題連絡会の創立メンバーの一人で、過労死弁護団全国連絡会議の代表幹事の一人である松丸正弁護士は、象徴的な言葉を選び出す能力に秀でている。

そんな松丸弁護士の言葉で私の好きなもののひとつに、「花見の回数券」というのがある。
曰く、「人生というのは、70~80枚くらいの「花見の回数券」を毎年1枚ずつ使っていくようなもの。ところが、過労死するということは、まだたくさん残っていたはずの回数券が、ある日気づいたら全部なくなっていたというようなものだ。だから過労死は悲しい。」

私自身は、あと何枚回数券が残っているのだろうか。
毎年、桜の花が咲く季節になると、私は松丸弁護士のこの「花見の回数券」の話を思い出すのである。

(岩城 穣・2011年4月4日「いわき弁護士のはばかり日記 No.9」より)