阪神大震災から20年──関西ネットの結成と果たしてきた役割

1 阪神大震災を契機に欠陥住宅全国ネットが結成
 1995年1月17日の阪神・淡路大震災で新築を含む多数の建物が倒壊し多数の死者が出たことから、日弁連の消費者問題対策委員会の中に「土地住宅部会」が設置され、「欠陥住宅110番」などの活動が開始されるとともに、弁護士のみならず建築士、研究者、被害者も参加した協議会が必要ではないかとの議論がなされ、1996年12月12日、被災地神戸で欠陥住宅被害全国連絡協議会(欠陥住宅全国ネット)が結成された。

2 地域ネット第1号としての関西ネット
 その結成総会・シンポジウムの帰途、木村達也弁護士から「すぐに関西支部の結成に取りかかろう」という提案があり、すぐにその準備にとりかかった。
 97年1月29日の第1回準備会には弁護士・建築士15名が参加し、その後1か月半に1回の頻度で合計6回の準備会を行った。毎回、案内書の発送時に、参加確認とともに他の案内発送対象者もあわせて回答してくもらえるようにしたことから、案内発送者はどんどん増えていった。毎回の準備会参加者はほぼ20名~30名程度であったが、毎回初参加者が一定数おり、顔ぶれはだんだん広がっていった。
 毎回の準備会では、原則として弁護士と建築士から1件ずつ自分がこれまでに扱い、または現在扱っている事例を紹介してもらい、全員で検討した。それとあわせて、新組織のイメージや規約案、結成の時期と段取りなどの組織問題についても議論を積み重ねた。
 4月の第3回準備会で「作業部会」の設置と7、8名の部会員の選出を行い、部会はその後結成総会までに数回の会合をもって、組織問題の具体化と詰めを行なってきた。
 6月に日弁連が行なった「第2回欠陥住宅110番」(欠陥商品110番とセットで実施)は、準備会も共催団体となり、多数の建築士が相談活動で大きな役割を果たした。
 その後、「電話相談だけで終わらせるのでなく、希望者に個別相談会をしてはどうか」という声があがり、全相談者に案内を出して、8月に個別相談会を行い、26人の相談希望者に弁護士と建築士がペアになって相談に応じた。その結果、かなり深刻な被害事例についてフォローをすることができ、その後訴訟になった案件も数件あった。
 結成総会の案内は500通以上を郵送するとともに、建築士、弁護士、学者それぞれについてつながりを生かして徹底的な案内をした。弁護士では大阪と神戸の弁護士全員にレターケースに案内を入れ、それ以外の府県にも消費者委員会の委員を中心に案内を送付した。
 10月25日、阪急グランドビルで開かれた結成総会には96名が参加。結成記念シンポジウムは、「市民と語ろう--欠陥住宅被害の実態とその救済」と題して、上野勝代京都府立大学教授の司会のもと、澤田和也(弁護士)、石井修二(建築士)、平野憲司(建築士)、本多昭一(京都府立大学教授)の4人のパネラーによるディスカッションが行われた。終了後のレセプションには31名が参加し、盛大に行われた。

3 全国ネットを牽引してきた関西ネット
 関西ネットは結成後、相談部会、制度部会、広報部会を設置するなどして活発に活動を開始したが、「神戸NET」が分離独立し、また第5回大会を京都、第6回大会を和歌山で行うことを契機に、それぞれ「京都ネット」「和歌山ネット」が分離独立した。
 私は、このように各地で大会を開催し、それに合わせて地方ネットを結成するという手法が有効ではないかと考え、当時の吉岡事務局長に、「ぜひ私に事務局長をさせて下さい。」と「志願」したことから、第7回広島大会で吉岡先生が全国ネットの幹事長、私が事務局長に就任し、現在の役員体制ができあがったのである。
 その結果、私が関西ネットの事務局長を務めたのは97年10月から、後任の重村達郎弁護士にバトンタッチした99年2月までの1年5か月だけであったが、その後も同じ大阪に事務局があることから、関西ネットと全国ネットは二人三脚のような形で活動を続けてきた。
 その後、全国各地の皆さんのご協力を得て、北海道から沖縄まで、地域ネットがほぼ全国を網羅したことから(広島の風呂橋弁護士はこれを「信長の野望」と表現した。)、私は2006年11月の福岡大会で、全国ネット事務局長を退任した。

4 発展する関西ネット
 その後、2010年3月から、木村達也先生の後を継いで、関西ネットの代表幹事の大役に就かせていただき、現在に至っている。もっとも、このころから私は「過労死防止基本法」の制定運動に関わることになり、2014年6月に「過労死等防止対策推進法」が制定されてからは、厚労省の「過労死等防止対策推進協議会」の委員と「過労死防止全国センター」の事務局長になり、関西ネットの活動にはあまり参加できない状態が続いている。
 その後事務局長は田中厚さん、脇田達也さんと引き継がれたが、若い事務局メンバーもたくさん加わり、発展していることを嬉しく思う。私にとって関西ネットは弁護士としての活動の原点の一つであり、阪神大震災20年の節目にあたり、改めてこの20年の歩みを感慨深く思い返すものである。
【弁護士 岩城 穣】(欠陥住宅関西ネット通信50号 2015年4月4日発行)