阪神大震災から10年―欠陥住宅をなくす取り組みの到達点と課題

1 1995年1月17日午前5時46分、あの忌まわしい「阪神・淡路大震災」が神戸を中心とする阪神地方を突如襲った。震度7、M(マグニチュード)7・3、死者・行方不明6400人、全壊家屋10万5000棟、半壊14万4000棟――。この数字を見て、ものすごい地震であったことを改めて実感する。神戸から遠く離れた堺市でも震度四で、私の家も長い時間グラグラと揺れ、棚に乗せていた物がいくつも落ちた。思わず妻や子どもたちが寝ている部屋を見に行ったことをはっきりと覚えている。
 この大震災から、ちょうど10年が経過しようとしている。

2 阪神大震災での死者の九割近くは、建物倒壊等による圧死であったとされている。震度六という規模から、倒壊が避けられなかった建物も多いであろうが、倒壊した建物のうち相当数は、建築基準法等の定める構造上の安全基準を満たしていなかった可能性があると指摘されている。
 地震が来たら真っ先に倒壊してしまうような欠陥住宅は、最悪の消費者被害ではないか。そんな思いから、私たちは阪神大震災の翌年の九六年一二月、「欠陥住宅全国ネット」の結成総会を被災地神戸で開き、これまで活動を続けてきた。

3 そんな私たちの粘り強い活動も多少とも反映したと思うが、この一〇年間、立法・行政・司法の各分野で、欠陥住宅を予防・救済する取り組みが進んできた。
 立法の分野‥‥中間検査を義務づける建築基準法の改正(九八年六月)、「住宅の品質確保の促進等に関する法律」(品確法)の施行(九九年四月)などが行われた。
 行政の分野‥‥建築士の処分強化の通達(二〇〇〇年一二月)、堺市の木三階建て住宅の調査活動をはじめ、地方自治体の熱心な取り組みもあり、完了検査率はこの一〇年間で三〇%から六〇%までアップした。
 司法の分野‥‥建築基準法令や標準的な技術基準を満たさない建物を欠陥住宅と認め、建替え費用や慰謝料も含めて賠償を命じる多数の下級審判決が出されてきた。そして、〇二年から〇三年にかけて、三つの画期的な最高裁判決が出されるに至った。

4 もちろん、これらの取り組みはまだまだ十分とはいえないし、欠陥住宅は現在も日々建築され続けて、私たちへの相談も絶えない。昨年(〇四年)六月に私たちが実施した「欠陥住宅・シックハウス一一〇番」には、二八〇件もの相談が寄せられた。

5 しかし、「欠陥住宅は居住権の侵害であり、最悪の消費者被害である」という認識は大きく社会的に広がったといえる。
 そんな中で、日弁連が年一回開催し、今年(〇五年)は鳥取で予定されている「人権擁護大会」の記念シンポジウムの三つのテーマ一つに、欠陥住宅問題が選ばれた。
 これから秋まで、このシンポジウムの準備に追われることになるが、この一〇年間の取り組みの集大成となるよう、頑張っていきたいと思っている。

【この10年間の主な地震】

年月日地震名震度マグニチュード死者・不明負傷者全壊家屋半壊家屋
1995.1.17兵庫県南部地震
(阪神・淡路大震災)
77.36,43341,500104,906144,274
2000.10.6鳥取県西部地震6強7.301824353,101
2003.3.24芸予地震6弱6.7228870774
5.26三陸南地震6強7.10174221
7.26宮城県連続地震6強6.406771,2763,809
9.26十勝沖地震6弱8.02849116368
2004.9.25紀伊半島南東沖地震5弱7.404200
10.23新潟県中越地震76.8402,9012,6328,741(新潟県中越地震のデータは、2004年12月3日現在)

【弁護士 岩城 穣】(いずみ第18号「オアシス」2005/1/1発行)