過労死をなくす闘いに巨大な前進~劇「突然の明日」上演運動を振り返って~

一 はじめに
 ご承知のとおり、過労死の企業責任追及の裁判が闘われている平岡事件を中心的なモデルとした劇「突然の明日」が、昨年8月22日・23日に富田林市公会堂ホールで名古屋の劇団「希求座」によって、また12月4日・5日に府立労働センターで大阪の劇団「きづがわ」によって上演されたが、この劇の上演運動を通じて大阪の過労死をなくす聞いは大きな前進を切り開いた。8月公演の取り組みについては既に民主法律時報258号(1992年10月)で報告をさせていただいたが、本稿では、8月公演を含めた上演運動全体について、その経過の紹介と簡単な総括をさせていただくことにする。

二 取り組みの発端から8月公演の決定まで
 昨年3月、過労死をテーマにした劇をするためにわざわざ独立し旗揚げしてこの劇を制作した希求座が名古屋で連続7回の公演を行い、大成功を納めた。この劇を観に行った平岡チエ子さん、関西大学教授の森岡孝二先生、勤労協の中田進先生や私が、その素晴らしさに心を打たれ、その日のうちに大阪公演をお願いしたことが8月公演のきっかけであったが、これとは別に、劇団きづがわも代表の林田夫妻をはじめ数名の劇団員がこの劇を観、数日後に希求座に対し、12月の劇団きづがわの第30回公演としてこの劇を上演させてほしいと依頼した。
 これらは全くの別々の動きであったが、その後希求唾と我々「観る会」準備会、劇団きづがわの間で協議が続けられ、希求座の8月公演の成功に劇団きづがわも「観る会」の一員として全力を尽くす、その成功を踏まえてきづがわが12月にこの劇を上演する、という方向で進めることになったのである。

三 希求座による8月富田林公演の取り組み
(1) 方向性は決まったものの、現実に確保できたのは、8月22日・23日の富田林市民公会堂ホールだけであった。6月1日、44名の方々の呼びかけのもとに「劇『突然の明日』大阪公演を観る会」が結成され、この「観る会」と大阪過労死を考える家族の会が共催してこの劇の上演運動に取り組むことになった。時期的にも場所的にも極めて困難な条件のもとで、果たして1,000人もの観客を動員できるのだろうか‥‥‥。私たちはそんな不安に苛まれながら、「観る会」として4回の「つどい」の開催とニュースの発行、民主団体へのオルグ、マスコミへの申し入れなどを行い、また家族の会も全会員にニュースとチケットを発送するなどして、チラシ4万枚、ポスター1,000枚、チケット1万1,000を当日までにほぼ配りきった。
 このような盛り上がりの中で、6月末には地元富田林市の教育委員会の後援も得られ、多くの新聞・テレビも紹介してくれた。

 (2) フタを開けてみると、客席数500に対し、1日目550人、2日目650人という座りきれないほどの観客が訪れ、会場は感動の渦につつまれた。アンケートは352通、20万円近くにのぼった。
 このように8月公演は予想をはるかに超える大成功を納めたか、あえて不十分点として指摘するならば、市民運動的な広がりにとどまり、一部を除き労働組合全体の運動にしきれなかったこと、その反映として参加者には女性が多く男性が少なかったことであった。

四 きづがわによる12月公演の取り組み
(1) 8月公演の成功の余韻もさめやらぬ9月中旬、きづがわによる12月公演の準備が開始された。8月公演の不十分点をカバーするためにも、また大阪市内とはいえ8月公演と比べて準備期間が短く、どの団休も秋のさまざまな課題と運動に取り組む時期に2,000人近い人々を動員するためにも、12月公演では労働組合、労働団体の取り組みが決定的に重要であった。

 (2) そのような位置づけのもとに、10月6日、従前の「観る会」を改組発展させ、9名の呼びかけ人の呼びかけを受けた形で「劇団きづがわによる劇『突然の明日』を観る会」が結成された。実行委員長は大阪労連議長の徳山重次氏、副実行委員長はアフターファイブの会の江口裕之氏、事務局長は自交総連藤垣全弘氏、事務局次長は全損保大阪地協議長の喜田義治氏と関西大学教授の森岡孝二先生と私という構成であった。事務局の体制は、それまでのメンバーに加えて全損保の喜田氏、アフターファイブの江口氏、市役所労組の中山氏らが参加し、場所もそれまでの天王寺法律事務所から全損保の事務所に移し、労働運動を主軸とした12月公演にふさわしい陣容となった。

 (3) 新しい「観る会」は、10月27日と11月17日の2回にわたり「つどい」を持ち過労死問題についての学習と交流を深め、ニュースも発行しながら、家族の会と二人三脚で約150団体にオルグを行い、賛同団体は最終的には68団体にのぼった。家族の会の会員や事務局個人も、一人でも多くの方に観てほしいという思いで周りの人々に訴えた。そのような活動の中で、チラシ8万枚、チケット1万7000枚、ポスター1,300枚をはば配布しきった。
 また家族の会の第3回総会(11月13日)、アフターファイブの会の集会(11月16日)、サービス残業シンポジウム(11月24日)、ひとりで闘う母さんたちを励ます集い(11月27日)などの取り組みの中でも、精力的に12月公演を知らせ、参加を訴えた。
 8月公演に続き2回目で、労働組合の色彩が強いことからマスコミの取り上げに不安もあったが、新聞(朝日、毎日、赤旗など)、テレビ(読売、NHK、関西)も積極的に取り上げてくれた。劇団きづがわは、実質2カ月しか練習期間がなく、会場の時間的制約によりストーリーの一部をカットせざるを得ないという悪条件にもかかわらず、気迫で練習に努め、またオルグやチケットの普及に全力で取り組んでくれた。
 労働組合での動きは当初やや鈍かったが、精力的なオルグ活動、特に徳山議長自らが先頭に立ってオルグに回り、さまざまな会合で訴え、電話かけもする中で、チケット普及は加速的に広がっていった。

 (4) 参加の確約は公演4日前の時点でまだ1,000人程度であったが、フタを開けてみると12月4日の第1回公演は750名、12月5日午後の第2回公演は650名、夜の第3回公演は800名で、合計2,200名もの観客が来てくれ、第1回と第3回は立ち見が出るほどの盛況であった。劇の内容も大きな感動を与え、アンケートは会場では時間がなく大部分を郵送してもらったにもかかわらず約180通、会場でのカンパは合計約43万円が寄せられたのである。

 (5) 参加者の内訳をみると、本当に多くの団体から参加者が見に来てくれたことがわかる。マスコミなどを見て観劇にきた参加者も100名くらいあった。また労働組合の取り組みを反映して、今回は男性の参加者の方が多かった。

五 全体を振り返って
 準備期間を入れると1年近くに及んだこの「突然の明日」上演運動は、次のような点で量的にも質的にも過労死をなくす闘いを変えたのではないかと思う。
① 過労死問題が決して人ごとではなく、現在の日本の労働状況の中が生み出している構造的なものであること、ある日突然夫や父を亡くした家族が悲嘆のどん底に突き落とされること、労災申請に立ち上がったとき遺族がどれだけ困難を強いられるか、そしてこのような状況を変えていくために我々は何をすべきかなどについて、劇を観ていただいた3,400人の方々に劇を通じて考えてもこりえたことである。また宣伝やマスコミを通じて、数万人、数十万人の人々に過労死問題を知ってもらえたことである。
② 同時に、企業の壁、行政の壁に阻まれ、十分な支援組織も持たないなかで孤独な闘いを余儀なくされながら労災申請や企業責任追及を闘っている遺族の方たちを限りなく自信づけ、励ましたことである。この間の上演運動の中で遺族たちの変化には目を見張るものがあった。
⑨ 2回の上演運動、とりわけ12月公演に向けた取り組みが、大阪労連をはじめとする労働運動の一環として位置づけられ、組合の幹部をはじめとする多くの人々に劇を観ていただいたことは、大阪の労働運動全体として過労死問題に取り組んだという点でも、大阪労連結成後初めて1つの劇の上演運動に取り組んだという点でも、極めて画期的なことだと思う。重要な課題が山積しているなかで劇の成功のために奮闘して頂いた徳山議長をはじめ組合関係者の方々に心から敬意を表したい。あわせて、これを機会に個々の遺族の労災認定闘争への支援を強め、また家族の会や過労死問題連絡会とのパイプを広げていただくことを切望する次第である。
④ 今一つの上演運動の果実は、過労死をなくしたいと心から願い、そのために自分のできることをこれからもやっていきたいと感じている、「観る会」事務局を中心とするネットワークが生まれたことである。この取り組みまではお互い名前も知らない人々であったが、夜9時からの事務局会議が続くなど(私たちは自虐的に「アフターナインの会」などと呼んでいた)しんどい活動にもかかわらず、「ノー・モア・カローシ」の合言葉で頑張ってきたこのネットワークは、これで解散することばなく、過労死をなくす闘いを前進させるためにいろいろな形で続いていくことと思う。

〔活動日誌〕
【1992年】
3・12~16 名古屋で希求座による「突然の明日」公演(1,300名)
4・7 第1回準備会(おおさかの街)
4・27 第2回準備会(おおさかの街)
5・14 第3回準備会(おおさかの街)
5・26 第4回準備会(おおさかの街)
6・1 「観る会」結成総会(府立労働センター)約20名
6・9 事務局会議(天王寺法律事務所)
6・15 過労死110番(6・2O)とセットにした記者会見(司法記者クラブ)
6・16 事務局会議(天王寺法律事務所)
6・18 平岡事件を支援する会総会
6・19 毎日新聞朝刊・赤旗日刊紙に記事
6・22 事務局会議(天王寺法律事務所)
6・24 「観る会」第2回つどい(府立労働センター) 約25名
6・25 富田林市教育委員会後援の名義使用承認通知
7・1 事務局会議(天王寺法律事務所)
7・7 事務局会議(天王寺法律事務所)
7・15 「観る会」第3回つどい(府立労働センター) 約70名
7・21 事務局会議(天王寺法律事務所)
7・28 事務局会議(天王寺法律事務所)
8・3 「観る会」第4回現地のつどい(藤井寺市民総合会館) 約25名
8・10 事務局会議
8・12 千代田学園での高校生トーク(テレビ大阪取材)
8・14 毎日新聞朝刊に記事
8・17 事務局会議(天王寺法律事務所)
8・18 テレビ朝日で報道
8・21 関西テレビで報道
8・22 サンケイ新聞に記事、MBSで報道
希求座第1回講演 約550名
8・23 希求座第2回講演 約650名 (合計1,200名)
8・24 テレビ大阪で報道 (特集番組)
8・27 事務局会議(天王寺法律事務所)
9・2 事務局会議(天王寺法律事務所)
9・4 「グラフこんにちは」に記事
9・16 事務局会議 (天王寺法律事務所)
10・6 「12月公演を観る会」結成会議(国労会館)約20名
10・16 事務局会議(全損保)
10・23 「物流ニッポン」紙過労死特集
10・27 「観る会」第1回つどい(森之宮ピロティホール)
11・5 事務局会議(全損保)
11・13 大阪過労死を考える家族の会第3回総会(府立労働センター)
11・16 アフターファイブ集会(中之島公会堂)
11・17 「観る会」第2回つどい(国労会館)
11・19 記者会見(司法記者クラブ)
11・20 事務局会議(全損保)
11・21 サービス残業110番(過労死問題連絡会)
11・22・23 山口で劇団若者座に上る「突然の明日」公演
11・23 読売テレビで報道
11・24 サービス残業シンポジウム(グリーン会館)(過労死連絡会・民法協・基礎研主催)
11・24 ひとりで闘う母さんたちを励ます集い(府立労働センター)
11・30 毎日新聞朝刊に記事
事務局会議(全損保)
12・1 朝日新聞朝刊に記事
12・3 事務局会議 (全損保)
12・4 NHKテレビ、関西テレビで報道(なお関西テレビは2月6日にも特集を予定)
きづがわ第1回公演 約750名
12・5 きづがわ第2回公演 約650名
きづがわ第3回公演 約800名 (合計2,200名)
12・14 事務局会議(全損保)
【1993年】  
1・9 事務局会議(林田さん宅)
1・21 事務局会議(全損保)

【弁護士 岩城 穣】(民主法律216号・1993年2月)