「おい、K。この問題をやってみろ」「なんや、こんな問題もでけへんのか。しばらくそのまま立っとけ」。公立中学の2年生になったばかりの平成3年4 月、K君は、U教諭から自分だけが嫌がらせをされていると感じた。それからK君は、たびたび学校を休むようになった。
6月14日夕方、U教諭はK君の自宅を訪問し、玄関でK君の父親と3人で立ち話をした。「ちゃんと学校に来んか。皆が迷惑しとるやろ」というU教諭の言葉に、K君は思わず「そんなん知るか」と反発して2階の自室に行こうとした。これにカッとしたU教諭はK君を追いかけ、階段を上がった廊下で、数分間にわたりK君の胸ぐらを掴み、げんこつや平手打ち、頭を床やトイレのドア、階段の手すりにぶつけるなどの暴行を加たのである。K君の父親が上がって行ってその場を収め、K君は首の痛みでその後12回ほど病院に通院したが、真の問題は体の傷ではなく、心の傷であった。K君と家族にとって地獄のような日々が、それから始まったのである。
K君は、翌日から学校に行くことがまったくできなくなった。朝、ベッドから起き上がれない。学校に向かって家を出ても、校門の前まで来ると引き返してしまう。せめて学校には行くようにと必死で説得する両親に暴力で当たり散らし、一日中自分の部屋に閉じこもっていた。両親も苦しみ、K君が2回から飛び降りようとするのを引き止めたり、いっそ一家心中をしようかとまで思い詰めたこともあった。
結局K君は中学卒業までほとんど学校には行けず、希望していた府立高校への進学はできず、専門学校に進学せざるを得なかった。
両親は市と教師を訴えたかったが同じ中学の1学年下に妹がいたため、妹が卒業するまでじっと耐えた。
提訴直前、両親がU教諭宅を訪問したとき、U教諭の言葉は「鼻っ柱や耳の鼓膜も破れた生徒もいるのに、なぜ私が示談に応じなければならないのか」というものであった。両親の提訴の決意は固まった。
依頼を受けた蒲田弁護士と私は、K君と両親の3名の代理人となって、平成6年6月、市とU教諭に対し、治療費と府立高校と専門学校の学費の差額、慰謝料を損害賠償請求する訴訟を大阪地裁に起こした。
裁判はこれまで、双方の主張と論争、K君とその両親の原告本人尋問、U教諭の被告本人尋問が行われて、現在大詰めを迎えている。
裁判所の判決は予断を許さないが、裁判を担当しながら私が感じていることを2、3点挙げておきたい。
まず、公立中学の教師の体罰が、一人の少年の中学時代を台無しにし、進路まで変えてしまったこの悲しい事件に対して、被告側は「U教諭は教育熱心であった」「K君はもともと不登校気味で、ルーズな生徒であった」などと主張し、体罰と事件の深刻さについて何らの反省も見られない。中学で教育を受けることは、憲法26条に基づく国民の権利と義務であり、生徒は教師を選ぶことはできない。体罰の本質は人間の教育と動物の調教の混同であり、学校教育法11条で明確に禁止されている。にもかかわらず、 個人の尊厳を基本理念とする日本国憲法のもとで、とりわけ地方公共団体が運営する公立中学で、体罰が依然として容認されていることの問題は大きい。
また、U教諭は「胸ぐらを掴んだことは認めるが、平手やげんこつで叩いたり、頭を床やドアにぶつけたことはない」などと、法廷で平然と嘘の証言をした。胸ぐらを掴んだだけで、なぜコブができたり通院することになるのか。法廷には毎回10人近い被告側の人々(恐らく学校関係者と教育委員会の関係者)が傍聴に来ており、U教諭の証言は、これらの関係者らとも十分な打合せのうえで行っていると思われる。まさに教育委員会、学校ぐるみで体罰教師をかばい、K君に責任を転嫁しようとしているのである。K君は法廷でU教諭の証言を聞き、「人に教える立場の先生が、平気で嘘をつくのは許せない。僕は一生U先生を忘れない」と話していた。
裁判官の対応もやや気になる。K君の尋問の際、当日の暴行の内容(体の傷)には関心を示したが、「心の傷」については、「学校へ行こうと思えば行けたのではないか」「友だちにノートを見せてもらってでも期末試験を受けなかったのか」と質問するなど、どちらかと言えば冷やかな印象を受けた。恐らく勉強ができ優等生として中学時代を送ってきたであろう裁判関係者が、果して登校拒否の少年たちの傷つきやすい心情を理解できるのであろうか。また、社会全体にまだまだ残っている体罰容認の風潮の影響を受けてはいないであろうか。
他方で、嬉しく思ったのは、K君の両親から、「息子は裁判所で証言してから少しずつ明るくなり、うるさいくらいよくしゃべるようになりました。自分の思っていることを法廷で言い、皆が聞いてくれたからでしょう。ありがとうございました」と言われたことである。
この裁判が、教師の体罰によって傷つけられ、歪められたK君の心をいやし、K君が自らの力で人生を切り開いていく強さを身につけていく一助になることを切に願う。
【弁護士 岩城 穣】(いずみ第4号「弁護士活動日誌」1996/10/18発行)