憲法前文と平和主義

 今年は、日本国憲法が制定、公布されて50周年を迎えます。国民の人権意識が高まっている一方で、現実は憲法の理念とはほど遠い現状面も多く、また「押しつけ憲法」とか「時代遅れ」など様々な理由をつけて憲法を改正しようという動きも強まっています。そこでこれから、改めて憲法のいくつかの条項を読み返しながら、シリーズで私たちの国が抱えている問題を検証し、憲法の理念を暮らしに生かす道を一緒に考えていきたいと思います。
 第1回は憲法前文を取り上げることにします。

憲法前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令、詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理念と目的を達成することを誓ふ。

 日本国憲法の冒頭にあるこの憲法前文は、無謀な侵略戦争の敗北による廃墟の中にあって、当時の国民が侵略戦争と、それを生み出した天皇と軍部の独裁に対する痛切な反省と教訓の上に立ち、(1)国民主権と(2)平和主義、(3)基本的人権の尊重を国の基本的理念とすることを宣言したものです。
 戦後50年たった現時点で、私たちが何度読み返しても新鮮な感動を与えるのは、
(1) 「戦争の惨禍」がいかに悲惨なものであったかということ、
(2) この憲法が当時のアメリカ占領軍の主導のもとに制定されたものであっても、人類の到達点と当時の日本国民の心からの思いを取り入れたものであったこと、
(3) そして現在の国際社会も、決してこの理念に従ったものになっていないこと
を示すものといえましょう。
 現在「改憲」を掲げる政党(自民党や新進党など)が国会で多数(憲法改正の発議に必要な衆議院と参議院の各の3分の2以上)を占めていることから、改憲の動きが報じられていますが、その意図や行動には十分な警戒が必要だと思います。

【弁護士 岩城 穣】(いずみ第6号「憲法再発見 第1回」1997/9/10発行)