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トップページ > 依頼者の声 > 介護老人施設事務責任者(49歳)の過労死について、労災認定、地裁での全面勝訴、高裁での勝利和解を勝ち取った事例
依頼者の声
ファミリーマート過労死事件(和田事件)のご紹介

1 長時間労働による疲労困憊で転倒して死亡

 和田敏春さん(当時62歳)は、ファミリーマートのフランチャイズ加盟店(H氏経営)であるA店とB店でアルバイト従業員として勤務していました。敏春さんは休日もほとんどないまま、平日は午後9時から翌朝11時まで、土曜は午後9時から翌朝6時まで、日曜は午後9時から翌朝9時まで、2つの店舗を奔走して働いていました。敏春さんの亡くなる直前6か月間の時間外労働時間は1か月当たり、過労死基準を大きく超える218時間~254時間に及んでいました。その結果、長時間労働による疲労が蓄積していた敏春さんは、平成24年12月21日午後9時ころ、A店内で脚立に乗って作業中に意識を喪失し、脚立から転落して床面に頭部を強打しました。救急車で搬送され、緊急手術を受けましたが、脳死状態のまま容態は改善せず、平成25年1月6日に病院にて亡くなりました。

2 弁護団の結成と労災認定

  民事訴訟の提起から和解成立まで

 敏春さんの長女志津依さんは、事故が起きた直後、インターネットで「過労死110番全国ネットワーク」のHPを見つけて岩城弁護士に相談。岩城弁護士は、当時同じ事務所に所属していた瓦井剛司弁護士と弁護団を結成し、平成25年1月18日付けで労災申請を行い、同年3月には労災認定がなされました。

 その後、妻の三枝子さん、長女の志津依さん、長男の諭さんの3人は、加盟店主のH氏とファミリーマート本部を被告として大阪地裁に民事訴訟を提起しました。その時点で喜田崇之弁護士(関西合同法律事務所)と稗田隆史弁護士が弁護団に加わり、弁護士4人体制での弁護団となりました。裁判で我々は、松葉和己医師の医学意見書に基づき極限的な疲労と意識喪失の間に因果関係があること、フランチャイズ契約の内容、経営実態や会計システム等をもとに、加盟店主だけでなくファミリーマート本部も損害賠償責任を負うべきであることを主張しました。これに対し、被告らは強く争う姿勢を示していましたが、訴訟提起から1年以上が経過した頃、ファミリーマート本部側から和解の申し出があり、協議を重ねた結果、平成28年12月22日付けで和解が成立しました。

3 和解成立の意義とマスコミ報道

 諸事情により、和解の内容までは明らかにすることはできませんが、ファミリーマート本部が加盟店の従業員の過労死事件について和解に応じたことは、コンビニフランチャイズの加盟店で働く従業員の生命と健康の安全を確保し、さらには、コンビニフランチャイズシステムの社会的信頼を高めていく上で、大変意義のあることだと思います。本件和解は、同年12月30日以降全国で大きく報道され、ファミリーマート本部はNHKの取材に対し、「今後も加盟店が労働法規を守るように指導していく。」とコメントしました。

 コンビニエンスストアでは、従業員はもちろん、加盟店主自身も過酷な労働環境に晒されていることが少なくなく、コンビニフランチャイズチェーンで働く人たちの労働時間や健康確保のあり方について見直しが必要ではないかと思います。

 三枝子さんは、報道関係者の取材に対して、以下のコメントを残しました。

「日本には、現に過酷な長時間労働など劣悪な労働環境に苦しんでいるコンビニエンスストア従業員の方が多くいると思います。家族思いで真面目だった主人はもう帰ってきませんが、せめて、主人のような犠牲者を二度と出さないようにしたいと願い、この裁判を起こしました。今回の和解がきっかけとなって、コンビニエンスストアを経営するフランチャイズの本部が、その加盟店の従業員の労働環境を改善するために、指導、監督するようになっていただければと願っています。」

 今後、同じような事故が起きることがないよう、過労死ゼロの社会が実現することを切に願うばかりです。

<娘さん栄志津依からの一言>
過労の中での転倒による事故-難しい事件を勝利和解に導いてくれた岩城先生に感謝

                                   栄 志津依
平成24年12月21日の21時頃、突然、母から「父さんが倒れた。急いで病院に来て。」と電話がありました。すぐに病院に駆けつけてみると、診察室には母と弟が既に到着していました。なぜかオーナーもその場におり、医師の話を母達と一緒に聞いていました。その後ろには、足をばたつかせ苦しんでいる父の姿がありました。

 父は仕事中に脚立に乗って作業をしていたところ、脚立から過って落下してしまい、頭を強打し意識を失って倒れていたそうです。買い物に来たお客さんに発見されて救急車で運ばれた、とのことでした。医師の話では、「急性硬膜下血腫により脳幹が圧迫されており、手術をして万が一助かっても脳死状態です」と言われました。

 診察室を出るとすぐに、オーナーは弟と私を呼び出し、今後のシフトの事などについて話を始めました。私はこの時、父はこのオーナーによって殺されたと思い、労災申請と民事裁判をする決意をしました。

 翌日、いくつもの法律事務所に電話をしましたが、年末ということもありなかなか相談の予約を取ることが出来ませんでした。必死に助けを求めて過労死110番に電話をしたところ、岩城先生とつながることができました。12月25日、初めて岩城先生にお会いし、今後の流れについて相談をしました。岩城先生は、私の話を何も言わずにずっと聞いて下さり、『これは難しい裁判になると思います。僕で良ければ一緒に戦いましょう。』と言って下さいました。

 この頃、オーナーからは、社労士に労災申請の書類を作らせたから早く印鑑を押すようにと催促されており、SVからも、『パートやアルバイトが訴えても無駄だ。』と言われ、どうすればよいかと途方に暮れていました。岩城先生がそのように声を掛けてくれたので、もう一人ではないのだととても心強く、嬉しかったことを今も覚えています。

 翌年になり、1月6日に父が永眠しました。労災認定は、仕事中に発生した事故であったことから、すぐに認定を得ることができました。しかし、父の亡くなる直前6か月間の働き方は、時間外労働が218時間から254時間にも達しており、休日もたった4日しかありませんでした。私達は、父にこのような働き方をさせ、見て見ぬふりを続け、見殺しにしたフランチャイズ本部に対しても民事訴訟を提起することにしました。

 父が務めていた店舗では、労働法規がまったく守られていなかったため、タイムカードや日誌が一切作成されていませんでした。まったく証拠がない中で厳しい戦いの中、岩城先生は4名の弁護士による弁護団を結成し、オーナーやフランチャイズ本部と戦って下さいました。また、岩城先生は、精神科医の先生に医学意見書の作成を依頼してくれたり、裁判を有利に進められるようにいろいろと準備してくれました。困難な裁判となりましたが、父が亡くなってから4年が経過した頃、裁判は和解が成立し終了しました。

 長い裁判が終わりほっとしましたが、同時にもう弁護団会議に参加することもないんだなぁ、と寂しい気持ちもありました。毎月の弁護団会議では、先生方は私たち遺族にいつも優しく寄り添って下さいました。先生方には感謝の言葉しかありません。

 先生方は私たち遺族の希望の光でした。父を過労死で亡くしたことは言葉では表現できないぐらい悔しく悲しいことでしたが、先生方に出会えたことは本当に幸せでした。改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

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