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依頼者の声
言語聴覚士国家試験受験資格不認定処分取消等請求事件

1 Yさんの経歴
 Yさんは1976年生まれの女性で、次のようなユニークな経歴の持ち主です。
 ①14歳まで日本の中学校に在籍。
 ②カナダに移住し、カナダの公立高校に編入学し卒業、さらにトロント大学に入学。
 ③帰国し、日本の大学に編入学して卒業。
 ④再びカナダのB大学の言語学部に編入学し同大学院に入学を認められるための必要単位を得た後に、同大学の大学院言語聴覚士養成学校に進学し卒業(理学修士取得)。
 ⑤2003年12月、カナダの言語聴覚士資格を取得し、2004年1月から2005年6月までカナダの公立病院で言語聴覚士として勤務。
 ⑥2005年に29歳で帰国し、補聴器や人工内耳などの聴覚補聴機器メーカーに約8年間勤務。
 ⑦その間、アメリカのS大学のオーディオロジードクター課程(通信)を修了し、さらに北里大学大学院の医療径研究科感覚・運動統御医科学群リハビリテーション科学博士課程も修了(医学博士号取得)。
 Yさんによれば、日本で大学生活を送っていたころから言語聴覚の分野に興味を持ち、障害者の支援をしたいと思うようになり、卒業後の進路を決める時、言語聴覚の分野に関しては北米の方が進んでいると聞き、思い切ってカナダに留学することにしたとのことです。
2 受験資格認定申請の苦労
 Yさんは、日本の言語聴覚士の資格を取る必要があると感じ、2011年8月、厚生労働省へ問い合わせたところ、担当者から受験資格についての認定基準があることを教えられ、それを満たすための資料の提出が必要だと言われました。
 Yさんは、カナダの養成所での成績証明書の取り付けとその公証をカナダの弁護士に依頼し、その翻訳も公証してもらうなど、大変な苦労をして資料を準備しましたが、「授業時間数が足りない。自分の授業した授業をリストアップして時間を合計して署名してもらい、かつ公証手続きまで得るように」との指示を受けました。
 そのような作業と並行してYさんは担当者と協議を重ねましたが、協議は遅々として進まず、担当者からの連絡さえまともにもらえない状況が続いているうちに、2013年度の試験(願書受付は2013年11月~12月)は受験の出願さえできませんでした。
3 岩城弁護士に相談し意見書と追加資料を提出するも不認定処分
(1) そんな状況の中、Yさんは2014年4月、岩城弁護士に相談メールを送りました。岩城弁護士が、当時所属していた事務所のホームページに「日本の国際化を問う──医師国家試験の受験資格」と題する一文を掲載しているのを知ったからです。
(2) ここで、参考までに上記事件について説明をしておきます。原告は、中国(中華人民共和国)の医科大学を優秀な成績で卒業した中国籍の男性。医師の免許を得るには医師国家試験に合格しなければなりませんが、医師法11条3号によると、「外国の医学校」を卒業した者は、厚生大臣が一定程度の「学力と技能」を有し、かつ「適当」と認定しない限り、先に「予備試験」に合格しないと医師国家試験(本試験)自体を受けられないことになっています。そして、台湾のように外国に医師国家試験制度や医師免許制度がある国の出身者には、それに合格していれば本試験からの受験を認め、中国のようにこれらの制度がない国の医学校の出身者には予備試験から受験させていました。そして、当時の予備試験はブラックボックスで、中国出身者はそれまで一人も予備試験に合格していなかったのです。
 岩城弁護士ら同事件の弁護団は、原告が本試験の受験資格を認定されるべきであると主張して国(厚生労働大臣)を相手に行政訴訟を起こし、東京地裁では敗訴しましたが、東京高裁で逆転勝訴判決を勝ち取りました(東京高裁平成13年6月14日判決(判例タイムズ1121号118頁、判例時報1757号51頁)。もっとも、同判決は行政手続法違反という手続き面で処分が違法としたにすぎませんでしたが、その後中国でも医師国家試験制度ができ、原告の男性はこれに合格したことから、日本の医師国家試験の本試験を受験することができ、医師になることができました。
(3) さて、本題に戻り、Yさんから相談を受けた岩城弁護士が確認したところ、次のことがわかりました。
・言語聴覚士の受験資格について、言語聴覚士法は次のとおり定めています。

(受験資格)
第三十三条 試験は、次の各号のいずれかに該当する者でなければ、受けることができない。
六 外国の第二条に規定する業務(注、言語聴覚士の業務のこと)に関する学校若しくは養成所を卒業し、又は外国で言語聴覚士に係る厚生労働大臣の免許に相当する免許を受けた者で、厚生労働大臣が前各号に掲げる者と同等以上の知識及び技能を有すると認定したもの

 この言語聴覚士法33条6号の要件は、次のように整理できます。
<要件A>
ア)外国の第二条に規定する業務に関する学校若しくは養成所を卒業したこと
または
イ)外国で言語聴覚士に係る厚生労働大臣の免許に相当する免許を受けた者
<要件B> 厚生労働大臣が前各号に掲げる者と同等以上の知識及び技能を有すると認定されたこと
・このうち、要件Bの認定をするために、厚生労働省は認定基準を作っており、その中には、「専門科目の授業時間の合計が2475時間以上」との要件が課されていました。
(4) 岩城弁護士は、2014年5月、Yさんが実質的に認定基準を満たしていると主張する代理人意見書を提出し、同年6月、Yさんとともに厚労省まで出向いて担当者に面談するとともに、追加資料の提出も行いました。しかし、厚労省はその後なかなか決定を出さず、2014年度の受験願書受付期間(2014年11月17日~12月5日)経過後の12月6日に至って、不認定の通知書が届いたのです。

4 行政訴訟の提訴と受験資格の認定
(1) Yさんは悩みましたが、行政訴訟を起こすことを決断しました。2014年に岩城弁護士のもとで司法修習生として弁護修習をした稗田隆史、安田知央の両弁護士(安田さんは2014年6月の厚労省担当者との面談にも修習生として同席しました。)も弁護団に加わり、Yさんとの打合せを重ねて、詳細な訴状と書証を作成しました。
(2) 2015年4月30日、大阪地裁に行政訴訟を提起。同年6月25日の第1回口頭弁論では、Yさん本人が冒頭意見陳述を行いました。その締めくくりでYさんは裁判官たちに、「自分が培った専門技能を生かして社会に貢献したいという私の思いがどうか皆さんに伝わりますように。そして、そのスタートラインに立つために必要な「受験資格」が私にはあると認めてくださるよう心から祈っています。」と訴えました。
 引き続いて裁判所の提案で、別室で進行協議が行われましたが、意外にも被告国側から、「いくつかの資料を追加してもらえれば、受験資格を認定する方向で検討している。」との発言があったのです。
(3) 翌日の6月26日には、厚労省の裁判担当者から電話があり、その追加資料は具体的には、①B大学が入学時に考慮したICUの科目及び授業時間数に関する資料と、②S大学が「外国養成所」に当たることに関する資料の2点ということでした。そして、これらが提出困難な場合には、その簡易版のようなもので代替してもらっても構わない(例えば、学長の印がなくてもよいなど)とのことでした。
 厚労省担当者が、これについて直接説明したいので厚労省まで来てほしいとのことだったので、Yさん、稗田、安田弁護士の3人が厚労省にまで出向き、担当者と面談しました。
 求められた資料は比較的容易に提出することができ、それを踏まえ、2015年8月19日付けで、「言語聴覚士法第33条第6号の規定により、言語聴覚士国家試験の受験資格を有することを認定する。」との認定書が送られてきました。
 この認定書を得るために、Yさんは約4年間を要し、行政訴訟まで起こさなければならなかったのです。
(4) 行政訴訟は目的を実質的に果たしたのだから、訴訟は取り下げるのが一般ですが、上記のような経過から、Yさんと弁護団は、あえて判決(訴えの利益がなくなったことによる却下判決)を求めることにしました。その判決文の中にこれまでの経過をきちんと入れてほしいということと、却下となる理由が被告国の不適切な対応にあったことを理由に、訴訟費用を被告国側に負担させてほしいと考えたからです。
 そして、2016年(平成28年)1月14日、本件訴えを却下するとともに、訴訟費用のうち2分の1を被告国に負担させるとする判決がなされました。
5 Yさんの国家試験受験と合格
 Yさんは、2015年の年末に言語聴覚士国家試験の受験を申請することができ、2016年2月の受験を迎えました。
 そして、3月30日、Yさんから次のようなメールが届きました。
「昨日、2月に受験した試験の合格通知書が手元に届きました。皆様のおかげで、受験資格を得ることができました。言語聴覚士の国家試験に無事合格することができました。‥‥5月からは、○○医大で月曜と金曜日に勤める予定です。」

 Yさんと弁護団の苦労が報われたことを、事務所内で拍手して喜び合ったことはいうまでもありません。

<Yさんからの一言>
 お陰さまで、言語聴覚士として充実して働いています。    Y.M

 私は、カナダの言語聴覚士養成学校(大学院)で勉強していた2000年頃からすでに、日本に戻っても臨床に携わりたい、という思いをもっていました。そこで、カナダの言語聴覚士養成学校を卒業する2003年頃に、日本に国際電話をかけ厚生労働省の担当の人に相談したところ、海外の養成校を出たあとでも日本の言語聴覚士国家試験の受験を認めてくれる制度があるということを教えてくれたので、すっかり安心していました。海外で言語聴覚士としての経験を少し得てから、日本の補聴器メーカーの社長からお声がかかり、2005年に帰国しました。帰国後、すぐに言語聴覚士受験資格をもらえて何とかなるかな、という安易な考えをもっていた私は、受験資格を得るまでにまさかここまで煩雑な手続きと長い間の戦いが待ち受けていようとは思いもしませんでした。何でもネットで調べれば情報が入る時代になっておりましたが、どんな手続きをとったらいいのか全く情報が載っておりませんでした。臨床にいつか戻りたいと願っていましたが、帰国後は言語聴覚士の資格がなくても勤められる補聴器・人工内耳メーカーで働いていました。それなりに仕事は専門の知識も生かせて充実しておりましたので、言語聴覚士の受験がつい先延ばしになっていました。
 受験資格の申請のために本格的に動き始めたのは2011年頃です。2012年から結婚を機に関西に住むことになり、病院の臨床に戻るチャンスだ!と思ったからです。ただ、言語聴覚士の受験資格認定申請をするにしても、あいかわらずネットなどには載っておらず、全く窓口がわからなかったので、日本で言語聴覚士を養成している学校の先生を通して担当者に連絡が取れたような状況でした。このとき、はじめて資格認定基準と必要な申請書類が初めてわかりました(2017年9月現在、私が訴訟をしたおかげか、ネットにわかりやすく申請書類について説明書きが載っていますし、必要な申請書類までダウンロードできるようになっているようです。私の時は、申請書類として必要な「履歴書」や「医師の診断書」のような書面もすべて厚労省に行かないと手に入りませんでした)。しかも、書類の準備が大変で、学校の成績書などにも弁護士の署名が必要だとのことで、伝手を頼りにカナダの弁護士を雇うことになりました。また、奈良から東京の厚労省やカナダの大使館に出向く必要があり、交通費もかかりました。厚労省の免許関係の窓口担当の人と面接したのは2013年で、申請書類を受理してもらえたものの、結果は「授業時間数が足りないので」、とのことで追加の書類を指示されました。要求されている書類手続きが煩雑であった上、時間もなかったのでその年の受験申請は見送りました。
 厚労省との交渉は、一人では心もとないため、次からは弁護士さんの力を借りて最善を尽くして臨みたいと考えましたが、弁護士さんを探すのも一苦労しました。ネットで見つけた1人目の弁護士さんとの面接では「もう少し頑張ったら何とかなるのではないか。自分でまず受験資格を申請してみて、もしダメだったらまたお声かけください」という感じですぐに助けてはくれませんでした。私は、本当にラッキーなことに、たまたま「以前、中国の医師でありながら、日本での国家試験を受けさせてもらえない人を助けた」という内容の記事をネットで見つけ、その中国人の方を弁護された岩城先生と出会うことができました。
 2014年に岩城先生と安田先生のお力を借りて申請に臨みましたが、結局授業時間不足とのことで不認定処分になりました。私は、「もう無理だ」、とその時かなり気落ちして日本の言語聴覚士養成学校に入りなおす決意をしたのですが、その費用と労力は馬鹿になりません。また、当時2歳の娘や家族にも負担をかけてしまいます。そんな時に、岩城先生が訴訟を提案してくださり、かなり迷いましたが訴訟する決意をいたしました。なぜ受験が認められないのか納得ができないところもありましたし、厚労省の今までの対応に関しても、不満を抱いていたからです。訴訟に至るまでの先生方の入念な準備と、その後の経緯は割愛しますが、稗田先生と安田先生とのミーティングを何度も重ねて準備いたしました。弁護士の先生方は懇切丁寧に対応してくださり、大変心強く思いました。
 訴訟した結果、やっと今まで努力してきたことが実を結び、念願の受験資格を得られることを知った2015年の夏の日、先生方も一緒に喜んでくださいました。心からほっとしました。その年の秋頃に、現在働いている病院の先生から声がかかり、2016年2月に行われた言語聴覚士の国家試験に合格した私は、5月から働けることになりました。

 2017年4月からは同じ大学病院耳鼻咽喉科専属で唯一の言語聴覚士としてフルタイムで働いております。1歳代などの早期に人工内耳の手術をして音声言語を獲得していく難聴児とご両親、中途失聴成人の方が人工内耳の手術後に再び聴こえの世界に戻ってきて感動しておられる様子をみることができ、この仕事に再び携われて本当に幸せです。3人の弁護士さんのお力添えなくしては今の仕事に従事することが難しかったと思います。助けていただきまして本当にありがとうございました。


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