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依頼者の声
27歳飲料水配送社員の過労自殺の事例(Nさん事件)
 就職難の中、ようやく正社員として入社し、トラックで大阪市内の自動販売機の飲料を補充する業務を担当した青年社員が、著しい長時間労働の末、うつ病を発症して入社わずか4か月後に自宅で自殺した事例です。
 亡くなった約半月後に、遺族(ご両親とお姉さん)が弁護士に相談し、弁護団(上出恭子、須井康雄と岩城)が結成され、大阪西労基署に労災申請して業務上認定。その後会社に民事訴訟を起こし、2013年12月会社が責任を全面的に認め、解決金を支払うとともに、和解の席上で直接謝罪し、また、今後5年間にわたって再発防止策をとることを約束することを内容とする画期的な和解が成立しました。

<Nさんのお父さんからの一言>
温かく寄り添い、共に闘ってくれました 過労死遺族H・N

 2008年8月2日、息子がこの世を去った。27歳の若さだった。
世界的清涼飲料水メーカーの配送作業をする、日東フルラインという会社に正社員として採用されてからわずか3か月半後の出来事であった。
 7月に入って連日30度を超える酷暑が続いていた。朝6時過ぎに出社し、夜11時過ぎに帰宅する日々が続き、遅い日は深夜12時を過ぎた。
 陽気だった息子が無口になり、日に日に痩せていき、疲労が目立っていた。繁忙期であることは解っていた。当時の私は「この種の会社は随分と遅くまで社員を働かせるものだな」という思いと、漠然とした不安を感じていた。
 8月2日、息子は突然、自ら命を絶った。

 

息子が大学を卒業したころは、いわゆる就職氷河期であり、新卒で就職活動に失敗すると、なかなか希望する会社に就職することは難しかった。それでもバイトをしながら専門学校に通い、スキルを高めながら頑張っていた。そしてようやく正社員採用されたのがこの会社であった。

 息子は勇躍出社していった。しかし待っていたのは若者を長時間過重労働で使い捨てにするブラック企業だった。

 原因が仕事であることは解っていたが、私たち家族は労働災害とか、過労死、過労自死、うつ病、そのような知識にはまったく疎かった。しかし私たち家族を支援してくれたいろいろな人々のお力を借りて、たどり着いたのが「あべの総合法律事務所」であった。私たち家族がこの事務所を訪ねた時は、あまりにも深い悲しみと、怒りと、絶望感で、まるで幽鬼のようであったろうと思う。息子の死から一月もたっていなかった。

 そこに岩城穣弁護士がおられた。

 先生は大きな体に優しい目、傷ついた私たち家族を温かく包んでくれるような雰囲気を持っておられた。私たちが会社に赴き収集したいろいろな資料を精査した先生は「これは労働災害だ。このような会社は絶対に許せない、一緒に闘いましょう!!」と力強く言われた。真っ暗闇の中に一筋の光明が見えた時だった。

 労災申請の前後、苦しい時期もあった、しかし先生の「そんな時は、今やるべきことを粛々とやるしかないのだよ」という言葉に励まされ、勝利のために、やるべきことをすべてやりきったと思う。そして、息子の死から約2年後に労災認定を受けることができた。

 平成23年、この会社を相手に損害賠償請求裁判を起こした。そして平成25年12月25日、私たちの全面勝利和解という形でこの裁判を終わった。労災認定は息子の名誉回復であり、民事裁判は息子のかたき討ちだと位置付けていた私たち家族は、この両方を完全な形で勝ち取ることができた。
この間、岩城先生をはじめ二人の先生方には、いくら感謝しても足りない。まるで家族のように私たち家族に寄り添い、共に闘い、共に苦しみ、そして共に歓喜を味わった。

 しかし息子は、私たち家族のもとへ帰ってくることは二度とない。

 被災者のみならず、残された家族の幸せな人生まで奪ってしまう過労死や過労自死というものは、あってはならない。

 岩城先生は過労死を根絶するための「過労死等防止対策推進法」の成立に中心的役割を果たされた。弁護士という多忙な仕事を抱えながらの働きは、私たちから見ればまさに超人的としか言いようがない。数多くの過労死問題を手掛けられ、このような悲劇は何としてもなくさねばならないという使命感に燃えられてのことだと思う。しかし、ご自分の健康面にも気を付けていただきたいと思う。

 そして、このたび新しい法律事務所を開所されることになった。本当におめでとうございます。これからも傷ついた弱い立場の人たちの側に立って、その力を存分にふるってください。

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