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春告鳥 第8号
ハンセン病家族訴訟

1 はじめに
 2016年2月15日、元ハンセン病患者の家族らが原告となり、国が実施したハンセン病患者に対する絶対的隔離政策等の諸政策により患者本人だけでなく家族もまた固有の損害を被ったとして、国に損害賠償及び謝罪を求めて、熊本地方裁判所に訴訟を提起しました(以下では、この訴訟を「家族訴訟」と呼びます)。提訴時点での家族訴訟の原告数は全国で568名に上っています(正確には、1次提訴、2次提訴分を合計した人数)。
 私は提訴時から弁護団に参加しています。


2 家族訴訟における家族の被害について
 隔離政策をはじめとする国のハンセン病政策により、患者家族の被った被害は多岐にわたります。
 隔離された患者が一家の大黒柱の場合、生活はたちどころに困窮します。育児中もしくは出産直後の母親が隔離された場合は、子どもが親戚の家をたらいまわしにされたり、孤児院に入れられてしまうケースもあり、親の愛情を知らずに育ってしまった子どももたくさんいます。その結果、のちに療養所を退所した実親と再会することができたとしても、親子関係の形成に悩み、戸惑い、苦しむことになります。
 また、ハンセン病は、長らく伝染病や遺伝病などとして恐れられてきました。国の隔離政策は、国民の間に根付いたハンセン病に対する誤った理解や強烈な恐怖心を一層深く根強いものへと変えました。さらに、患者を隔離する際には、家中丸ごと大規模な消毒が行われるケースも少なくなく、その様子を見た周囲の近隣住民は、ハンセン病への恐怖心や嫌悪感を増大させました。ハンセン病が伝染病であり遺伝病であるという誤った知識は、潜在的感染源としてハンセン病患者の家族をも社会内から排除する方向に作用し、家族に対する偏見・差別を助長しました。
 そのような差別は、婚約破棄や離婚、村八分、一家心中などの形で家族らを苦しめました。ハンセン病患者の家族であることが世間に知れ渡れば、苛烈な差別や迫害にさらされるため、ハンセン病患者の家族は、息をひそめ、身内に病歴者がいることをひた隠しにして生きていかなければなりませんでした。このような秘密を抱えて生きなければならないということも、家族の被害の特徴的な表れといえます。
 このように、社会内に取り残された家族も、様々な被害に苦しみながら生きなければならなかったのです。


3 家族訴訟の現状について
 家族訴訟は、2018年3月から原告本人尋問手続きが始まり、月1回のペースで、全国各地から毎回3~4人ずつ原告が出頭し、これまで自らが被ってきた生々しい被害について語ってくれています。原告らの口から語られる壮絶な人生被害に、傍聴席からすすり泣く声が聞こえるだけでなく、裁判官らが思わず目頭を押さえてしまう場面もありました。今後も、8月と9月にそれぞれ4人ずつ原告本人の尋問が続き、12月の結審を目指しています。


4 おわりに
 家族訴訟が始まって、早くも2年以上が経過しました。この原稿を書いている今この瞬間は、宮古島での所在尋問(熊本の裁判所が宮古島に出張して行う尋問手続きです)のため、台風8号の迫る宮古島市内のホテルにいます。

 原告らが涙ながらに語る壮絶な被害の訴えが裁判所に届くよう、これからも努力し続けたいと思います。

 

                              (弁護士 井上 将宏)

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